日本歴史地名大系 「小石川中富坂町」の解説 小石川中富坂町こいしかわなかとみざかまち 東京都:文京区旧小石川区地区小石川中富坂町[現在地名]文京区小石川二丁目通りを隔てて小石川下富坂町の西に位置する拝領町屋。西は通りを隔てて小石川上富坂町、南は火除地、西富坂の通り(現春日通)を隔てて水戸藩上屋敷。北は宮内(くない)坂(現堀坂)の通りを隔てて旗本堀邸。町の起立は下富坂町と同様で、古くは中餌差(なかえさし)町といっていたが、町方支配に転じた元禄六年(一六九三)に小石川中富坂町と改めたという。町内は東西が南で二二間余、北で二一間余、南北は一町三一間余(御府内備考)。安永三年小間附町鑑によれば、小間数八二間余(京間)で公役金を負担。宮内坂は町の北を東方の善雄(ぜんゆう)寺へ下る坂で、長さ一町七間余・道幅一間五尺。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報