日本歴史地名大系 「小石川伝通院御掃除町」の解説 小石川伝通院御掃除町こいしかわでんづういんおそうじまち 東京都:文京区旧小石川区地区小石川伝通院御掃除町[現在地名]文京区小石川一丁目小石川柳(こいしかわやなぎ)町の北、伝通院境内の北東方に位置する拝領町屋。東は北上して祥雲(しよううん)寺に至る通りを隔てて小石川下富坂(こいしかわしもとみざか)町の飛地や武家地、西は先手組大縄屋敷、北は通りを隔てて小石川祥雲寺門前。町の南部を小石川が南東流する。伝通院廟所の掃除役を勤めていたことが町名の由来。かつては小石川村の伝通院領のうち。以前から徳川家康生母於大やそのほかの伝通院境内廟所の掃除役を勤めていた一六人に寛文三年(一六六三)永代役屋敷として当地が渡され、一六人は町並家作をして住居したのが当町の始まり。その頃から古町と同様沽券状は永代売渡証文で取引していた。延享二年(一七四五)それまでの寺社奉行支配から町奉行支配となったが、町方支配に転じてからも、廟所の掃除役はこの一六人が勤め、一方でこの掃除役のほか伝通院に年貢などは差出していない(御府内備考)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by