小石川西富坂町(読み)こいしかわにしとみざかまち

日本歴史地名大系 「小石川西富坂町」の解説

小石川西富坂町
こいしかわにしとみざかまち

[現在地名]文京区春日かすが一丁目・小石川二丁目

明治五年(一八七二)に成立。幕末には水戸藩上屋敷と小石川上富坂町・同中富坂町・同下富坂町とに南北を挟まれた地で、上・中・下の三富坂町地先の火除地であった。成立時には北は小石川餌差こいしかわえさし町、同中富坂町・同上富坂町、西は同上富坂町、南は小石川町、東は小石川下富坂町。この火除地は総坪数二千坪余、文化一四年(一八一七)御用地として三ヵ町から召上げられ、三ヵ町は浅草堀田ほつたヶ原に代地(小石川富坂町代地、現台東区)を与えられている。その後火除地は三ヵ町の名主源三郎へ預けられたが、敷地が広く行届かないので、のちに火除地内に間口二間・裏行三間半の塗家作の見守番所三ヵ所、および見守の者助成のための二間四方の葭簀張水茶屋七軒の建立を許された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報