日本歴史地名大系 「小網町二丁目」の解説 小網町二丁目こあみちようにちようめ 東京都:中央区旧日本橋区地区小網町二丁目[現在地名]中央区日本橋小網町・日本橋人形町(にほんばしにんぎようちよう)一丁目小網町一丁目から思案(しあん)橋を渡った南にあり、日本橋川の左岸に沿うほぼ南北に続く片側町。東は陸奥磐城平藩安藤氏中屋敷。天正年間(一五七三―九二)の起立で(東京府志料)、寛永江戸図には当町および三丁目の位置に「はんぢやう丁」(番匠町)とあり、寛文新板江戸絵図では小網町二丁目となっている。安永三年小間附町鑑によれば小間九八間半、うち京間六四間・田舎間三四間半、国役は小網町一丁目と同様に勤め、名主も一丁目と同じ。安政七年(一八六〇)の泰平町鑑では一番組組合持。面積二千四五坪余。明星稲荷が安藤氏屋敷地北外れにあり、社地二四坪(「寛保沽券図」中央区京橋図書館蔵)。二丁目の河岸は鎧(よろい)河岸といい、日本橋川対岸の南茅場(みなみかやば)町側へ渡る鎧渡(一文渡)があった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by