日本歴史地名大系 「小菅庄」の解説 小菅庄こすげのしよう 長野県:飯山市瑞穂地区小菅村小菅庄領域は小菅山を背景とした小菅・大菅集落とその台地の麓にある神戸(ごうど)・関沢(せきざわ)・針田(はりだ)・北沢(きたざわ)(笹沢(ささざわ))・前坂(まえざか)一帯と小見(おみ)の諸集落で、東は小菅の山塊、北は赤滝(あかたき)川をもって志久見(しくみ)郷に、南は犬飼(いぬかい)郷、西は千曲川を境として常岩(ときわ)牧に接していた。荘名の初見は、将軍足利義持が応永二八年(一四二一)一二月二五日に、大納言法印忠意を禅林寺若王寺別当職に補任した次の御教書である(若王子神社文書)。<資料は省略されています>次いで足利義政が、応仁元年(一四六七)一二月二二日、大納言法印忠雅に別当職と社領を安堵している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by