日本歴史地名大系 「小菅村」の解説
小菅村
こすげむら
多摩川支流の小菅川、同川支流白沢川の各流域山間部を占め、南東の一部は桂川支流
小菅村
こすげむら
小菅村
こすげむら
- 東京都:葛飾区
- 小菅村
寛永年間(一六二四―四四)当村のうち一〇万坪余が関東郡代伊奈氏に下屋敷として与えられ、将軍の鷹狩の際の御膳所となった。五代将軍徳川綱吉による中断により、元禄一二年(一六九九)松平美濃守に譲渡されたが、享保元年(一七一六)鷹狩復活時に返還された。同一二年に御腰掛と御膳所が再設置された。元文元年(一七三六)には御腰掛をもとに小菅御殿が建てられ、九代将軍徳川家重がしばしば訪れたが、寛保二年(一七四二)火事で焼失した。
小菅村
こすげむら
- 千葉県:成田市
- 小菅村
西流する
小菅村
こすげむら
小菅村
こすげむら
この地一帯は中世から京都の
慶長七年(一六〇二)森忠政の川中島四郡検地打立之帳では村高五四九石二斗五升五合とあるが、実は関沢・針田両村の石高を包含している。しかし慶安五年(一六五二)の検地によって両村が自立したため高二六七石に減少している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報