小西伝助(読み)コニシ デンスケ

20世紀日本人名事典 「小西伝助」の解説

小西 伝助
コニシ デンスケ

明治・大正期の実業家,文人 江東義会会長。



生年
明治2年12月15日(1870年)

没年
大正6(1917)年11月28日

出生地
秋田県大曲

経歴
中学退学後、大曲の学者高垣重明のもとで学ぶ。一時東京に遊学し、帰郷後の明治18年文学研究団体の共攻会を結成。次いで28年に同会と大曲青年会との連合により大東義会が発足すると、その会長となった。のち再び上京し、30年東華堂を設立して法律書などを刊行。同年、従兄で評論家の後藤宙外やその友人である島村抱月水谷不倒・小杉天外らとはかり「新著月刊」を発行した。また、実業界でも活躍し、鉱山の開発や石炭試掘・電力事業・運輸業などに従事。特に石油の試掘事業で名高く、石油王国秋田の基礎を固めた功績は大きい。その他にも、大正3年に起きた強首地震では、私財を投じて罹災民救恤に当たった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小西伝助」の解説

小西伝助 こにし-でんすけ

1870*-1917 明治-大正時代の実業家。
明治2年12月15日生まれ。石油の試掘,鉱山開発を手がけ,郷里秋田県の石油事業発展の基礎をきずく。また明治30年東京で東華堂を創立し,従兄の後藤宙外らと文芸誌「新著月刊」を発行した。大正6年11月28日死去。49歳。字(あざな)は行庸。号は平洲。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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