小野宮跡(読み)おののみやあと

日本歴史地名大系 「小野宮跡」の解説

小野宮跡
おののみやあと

文徳天皇の第一皇子惟喬親王の邸。

「拾芥抄」は「大炊御門南烏丸西、惟喬親王家、定頼公伝領之、清慎公伝領之」と記す。また「古事談」の「小野宮室町西は古の四足ありき。件門常に閉たりき。是小野殿御座の時経件門天神常渡御。終夜御対面の故」という記述から室町に面して四足門を配し、その広さは方一町であり、今の松竹町を中心に少将井町・鏡屋町付近にあたる。

惟喬親王は母が紀氏のため外家の力を頼るべくもなく、藤原良房を外祖父とする第四皇子惟仁親王が清和天皇として即位。この間大宰帥・常陸太守・上野太守となるも、病のため出家し、洛北小野に隠棲。隠棲地の地名から小野宮と号し、当所の呼称もそれに由来する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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