朝日日本歴史人物事典 「小野春風」の解説
小野春風
平安前期の官人。石雄の子。代々武門の家柄にふさわしく,「驍勇人に超える」といわれ,生涯の大半を武官として過ごしている。貞観13(871)年1月,対馬守に任じられ西海の防備に当たったが,甲冑の機能を補強するための「保侶衣」や軍糧携帯用の「革袋」を作ることを申請している。同12年3月にも,かつて父が陸奥の反乱を平定したときに着用していた羊革甲の下賜を願い出て許されている。のち免官されたが,元慶2(878)年出羽国秋田城で蝦夷の反乱(元慶の乱)が起こるや鎮守将軍に抜擢され,甲冑弓矢を捨ててひとり賊地に乗り込み,無血で蝦夷を服属させたという。これは幼いころから辺境で生活し「夷語」が話せたこと(『藤原保則伝』)によるものであろう。『古今和歌集』に歌を収める。
(瀧浪貞子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報