朝日日本歴史人物事典 「小野木重次」の解説
小野木重次
生年:生年不詳
安土桃山時代の武将。早くから豊臣秀吉の家人となる。通称清次郎。はじめ黄母衣衆,大母衣衆。天正10(1582)年の本能寺の変直後,山城淀城主となり,同12年ごろまで京都南郊を支配。同年の小牧・長久手の戦に従い,伊勢神戸城を預けられた。秀吉の関白任官に伴い従五位下,縫殿助に叙任。同17年美濃で検地を行い,小田原攻め,文禄の役にも参加した。当時は丹波福知山城主(3万~4万石)。関ケ原の戦では石田三成方に属し大坂警備,次いで丹後田辺城を包囲。しかし9月の敗戦で居城を細川忠興に囲まれ落城,自殺。
(今谷明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報