小野木重次(読み)おのぎ・しげつぐ

朝日日本歴史人物事典 「小野木重次」の解説

小野木重次

没年:慶長5.10.18(1600.11.23)
生年:生年不詳
安土桃山時代の武将。早くから豊臣秀吉家人となる。通称清次郎。はじめ黄母衣衆,大母衣衆。天正10(1582)年の本能寺の変直後,山城淀城主となり,同12年ごろまで京都南郊を支配。同年の小牧・長久手の戦に従い,伊勢神戸城を預けられた。秀吉の関白任官に伴い従五位下,縫殿助に叙任。同17年美濃で検地を行い,小田原攻め,文禄の役にも参加した。当時は丹波福知山城主(3万~4万石)。関ケ原の戦では石田三成方に属し大坂警備,次いで丹後田辺城包囲。しかし9月の敗戦で居城細川忠興に囲まれ落城,自殺。

(今谷明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小野木重次」の解説

小野木重次 おのぎ-しげつぐ

?-1600 織豊時代の武将。
豊臣秀吉につかえ,文禄(ぶんろく)3年丹波福知山城(京都府)城主となる。関ケ原の戦い西軍につき,一時丹後(京都府)田辺城を占拠したが,やがて細川忠興の軍に敗れ,慶長5年10月18日亀山浄土寺で自刃(じじん)。通称は清次郎。名は別に重勝

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例