小食土村(読み)やさしどむら

日本歴史地名大系 「小食土村」の解説

小食土村
やさしどむら

[現在地名]緑区小食土町

土気とけ町の南にあり、北部を土気往還が通る。矢指戸・矢指渡などともみえる。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳の山辺やまべ郡内にみえる北倉出村が当村と考えられ、高三九四石余。慶長一五年(一六一〇)当時は幕府領(小食土町内会文書)、寛永一〇年(一六三三)四四石余が旗本石丸領、二〇〇石余が同神谷領になったとされる(「寛政重修諸家譜」など)。寛文元年(一六六一)佐倉藩領(同四年「松平乗久領知目録」寛文朱印留)、元禄一一年(一六九八)同藩領は旗本川口領となったと考えられ、以後旗本三給のまま幕末に至る。享保五年(一七二〇)の田一〇町六反余・畑六町四反余、年貢一五〇俵余は(「年貢割付状」吉原家文書)、川口領分か。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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