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少弐景資 しょうに かげすけ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

少弐景資 しょうに-かげすけ

1246-1285 鎌倉時代の武将。
寛元4年生まれ。少弐資能(すけよし)の子。蒙古(もうこ)襲来(元寇(げんこう))では九州御家人をひきいて奮戦。兄経資(つねすけ)と家督をあらそい,筑前(ちくぜん)(福岡県)岩門(いわと)城で挙兵したが,弘安(こうあん)8年11月敗死した(岩門合戦)。40歳。通称は三郎左衛門

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

少弐景資

没年:弘安8(1285)
生年:寛元4(1246)
鎌倉中期の武将。資能の子。三郎左衛門,豊前守,のちに盛氏と改める。文永11(1274)年のモンゴル襲来のときは,29歳であったが,五百余騎を率いて博多息浜で侍大将として奮戦した。『蒙古襲来絵詞』には「月のたいしやう」とみえる。弘安4(1281)年のモンゴル襲来のときも,鷹島の合戦の検知をしていることが知られる。8年安達盛宗に呼応して,兄経資に対して筑前国(福岡県)岩門城で挙兵したが,誅伐され自害した。景資の所領筑前国志登社地頭職は没収され,詫磨時秀に給付されている。<参考文献>『蒙古襲来絵詞』,川添昭二『九州中世史の研究』

(瀬野精一郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

しょうにかげすけ【少弐景資】

?‐1285(弘安8)
鎌倉後期の武将。資能の子。通称三郎左衛門。豊前守。本拠は筑前国那珂東郷岩門。所領には同国志登社地頭職,肥前国那久野村地頭職,肥後国永吉荘預所職等がある。モンゴル襲来では前線司令官として活躍。1285年,兄経資から家督を奪おうとして,本拠で岩門合戦を起こしたが,敗れて自殺。景資の所領はモンゴル合戦の勲功賞として利用され,諸氏に配分された。【山口 隼正】

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