少弐景資(読み)しょうにかげすけ

改訂新版 世界大百科事典 「少弐景資」の意味・わかりやすい解説

少弐景資 (しょうにかげすけ)
生没年:?-1285(弘安8)

鎌倉後期の武将。資能の子。通称三郎左衛門。豊前守。本拠筑前国那珂東郷岩門。所領には同国志登社地頭職,肥前国那久野村地頭職,肥後国永吉荘預所職等がある。モンゴル襲来では前線司令官として活躍。1285年,兄経資から家督を奪おうとして,本拠で岩門合戦を起こしたが,敗れて自殺。景資の所領はモンゴル合戦の勲功賞として利用され,諸氏に配分された。
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朝日日本歴史人物事典 「少弐景資」の解説

少弐景資

没年弘安8(1285)
生年:寛元4(1246)
鎌倉中期の武将。資能の子。三郎左衛門,豊前守,のちに盛氏と改める。文永11(1274)年のモンゴル襲来のときは,29歳であったが,五百余騎を率いて博多息浜で侍大将として奮戦した。『蒙古襲来絵詞』には「月のたいしやう」とみえる。弘安4(1281)年のモンゴル襲来のときも,鷹島の合戦の検知をしていることが知られる。8年安達盛宗に呼応して,兄経資に対して筑前国(福岡県)岩門城で挙兵したが,誅伐され自害した。景資の所領筑前国志登社地頭職は没収され,詫磨時秀に給付されている。<参考文献>『蒙古襲来絵詞』,川添昭二『九州中世史の研究

(瀬野精一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「少弐景資」の解説

少弐景資 しょうに-かげすけ

1246-1285 鎌倉時代の武将。
寛元4年生まれ。少弐資能(すけよし)の子。蒙古(もうこ)襲来(元寇(げんこう))では九州御家人をひきいて奮戦。兄経資(つねすけ)と家督をあらそい,筑前(ちくぜん)(福岡県)岩門(いわと)城で挙兵したが,弘安(こうあん)8年11月敗死した(岩門合戦)。40歳。通称は三郎左衛門。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

旺文社日本史事典 三訂版 「少弐景資」の解説

少弐景資
しょうにかげすけ

?〜1286
鎌倉時代の武将
資能 (すけよし) の子。1274年文永の役に際し,蒙古軍が筑前に上陸したとき,九州の御家人を指揮し,また,'81年の弘安の役では,菊池武房らとともに,蒙古船団に切り込み奮戦して戦功をあげた。

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