岩門(読み)いわど

日本歴史地名大系 「岩門」の解説

岩門
いわど

現那珂川町山田やまだなど那珂川中流域に比定される広域地名。岩門庄・岩門郷ともよばれ、石門・岩戸とも記される。弘安九年(一二八六)閏一二月二八日の蒙古合戦并岩門合戦勲功地配分注文(比志島文書/鎌倉遺文二一)には「筑前国那珂東郷岩門」と記されており、那珂東なかとう郷の内であった。伝説によれば当地に天の岩戸があったとされ、それが地名の由来となったという。「平家物語」巻八(名虎)には寿永二年(一一八三)八月、大宰府に着いた平家一門には「岩戸の諸境(少卿)大蔵種直」のみが従っていたとある。大蔵種直は原田はらだ(現前原市)を本貫とする原田氏であるが、同氏が岩戸にも所領をもち、また同地が筑前国における平家政権下の重要な軍事拠点であったと推定される。弘安七年一一月から翌年一一月の間に出されたと考えられる関東評定事書(近衛家本追加/鎌倉遺文二〇)では「次岩門并宰府構城之条、為九州官軍、可得其構云々」とし、領主らに沙汰して整備するように定められており、当地に大宰府の城と同様重要な城郭が築かれていた。同八年霜月騒動の地方的波及の一つとして少弐景資(盛氏)の惣領経資への反乱(岩門合戦)が勃発し、景資は岩門城で敗死したという(歴代鎮西志)。同九年一〇月二九日に発給された宛行状(「関東下知状案」有浦文書/鎌倉遺文二一など)によれば、景資与党の御家人の旧領は岩門合戦の恩賞地として配分され、また前掲配分注文によれば景資に従った金田六郎左衛門尉(時通)跡の那珂東郷岩門は一〇分割され、相神家弘・住吉政秀・多比良尊聖・斑島左衛門三郎・「(寒)永井源三郎」・青木頼平・三原種能・「八(尋)重俊」・打橋泰幸・古飯三郎兵衛入道に配分されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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