日本歴史地名大系 「尼ヶ崎新々田」の解説 尼ヶ崎新々田あまがさきしんしんでん 大阪府:大東市尼ヶ崎新々田[現在地名]大東市三箇(さんが)一―六丁目・大東町・御領(ごりよう)一丁目尼ヶ崎新田の造成により無用になった深野(ふこの)池堤を開墾したもので、東の三箇村大箇(おおが)の西縁部と西の八箇所(はつかしよ)の東縁部に分れ、ともに曲りくねった細長い地域である。讃良(さらら)郡に属する。面積は田二町二反・畑五町五反余の計七町七反余(「尼崎新々田様子大概帳」石田家文書)、宝永二年(一七〇五)に開墾にかかり、同四年に検地を受けたが開墾主は不詳。庄屋は三箇村が兼帯した。領主の変遷は尼ヶ崎新田に同じ。村高は元文二年(一七三七)の河内国高帳で七四石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報