朝日日本歴史人物事典 「尾和宗臨」の解説
尾和宗臨
生年:生年不詳
室町後期の堺の豪商。海外貿易で巨利を得るかたわら,大徳寺の一休宗純に参禅する。一休のために寺を建てることを希望し一休からは固辞されるが,数度にわたる要望に一休は,応仁の乱の兵火に焼亡したままの大徳寺の再建を勧める。宗臨は有志の協力も得て,文明年中(1469~87)に本寺の仏殿,方丈,大厨をはじめ,その塔頭の大用庵,如意庵や徳禅寺などを再建した。方丈の再建では,西域諸国の貿易に従事した持ち船の帆柱を厨庫の棟梁にあて,船板は腰板に使用したと伝えられる。宗臨は重ねて一休の寺を建てることを願ったため,一休もその死後に建立することを許した。文明13年の一休没後,大徳寺内に真珠庵を創建し延徳3(1491)年に竣功した。大徳寺再興の功労者として,没後真珠庵に葬られる。遺言によって,所有の資産を寄贈して修復の用に当て,子孫もそれに倣ったという。<参考文献>『堺市史』
(吉田豊)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報