日本歴史地名大系 「尾坂寺跡」の解説 尾坂寺跡おさかじあと 京都府:竹野郡網野町尾坂村尾坂寺跡[現在地名]網野町字尾坂尾坂山の山頂よりやや下った所にあった寺院。東南には竹野川が見下ろせる。鷲尾山と号し、丹後国三十三所観音霊場の一二番札所。近隣の城主や武家の信仰も厚く、七堂伽藍を備えていたといわれ、本堂を囲むように中の坊・大坊(だいぼう)・住信坊(じゆうしんぼう)・能住坊(のうじゆうぼう)・北の坊・南坊・矢の谷・鉄砲屋敷などの地名が残る。僧兵などを抱えていたと推測される。宇川上山寺年代目録(「竹野郡誌」所引)に、正暦元年(九九〇)真慶の開基、本尊は恵心僧都作の聖観音という。丹後国田数帳に、「雄坂寺 三町 寺家領」とあり、中世末の丹後国御檀家帳には<資料は省略されています>とあり、多くの僧徒を擁していたことがうかがわれる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by