日本歴史地名大系 「尾坂村」の解説 尾坂村おさかむら 岡山県:笠岡市尾坂村[現在地名]笠岡市尾坂関戸(せきど)村の東にあり、東は小坂東(こさかひがし)村(現浅口郡鴨方町)。関戸村境にある尾坂池の北側、竜王(りゆうおう)山頂に近い台地に、平安末期頃の山上伽藍跡と推定される尾坂西(おさかにし)ノ谷(たに)廃寺がある。同廃寺の南東方標高一五三メートルの船(ふな)ヶ迫(さこ)支脈の小丸(こまる)山には城跡がある。城主は尾坂惣右衛門と伝え、「備中誌」は、かつて小坂は「ヲサカ」と訓じたとして、小坂東村杉山(すぎやま)城主小坂宗右衛門と同一人物とする。 尾坂村おさかむら 京都府:竹野郡網野町尾坂村[現在地名]網野町字尾坂島溝川(しまみぞかわ)村の東方に位置する尾坂山にある。このような山上に村が立地しえたのは、多数の信徒を有した尾坂寺があったためで、その門前村として発生し、寺とともに繁栄したと思われるが史料を欠く。慶長検地郷村帳に高八四・七三石「尾坂村」とみえるが、延宝九年(一六八一)の延高で九五石余となった(天和元年宮津領村高帳)。宮津藩領として推移したが、寛文六―九年(一六六六―六九)、延宝八―九年、享保二年―宝暦九年(一七一七―五九)は幕府領。近代に入り、尾坂寺の衰退に伴い門前村としての機能も衰えた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by