尾崎館跡(読み)おさきたてあと

日本歴史地名大系 「尾崎館跡」の解説

尾崎館跡
おさきたてあと

[現在地名]平賀町尾崎

尾崎集落の東側にある。大光寺だいこうじの東約五キロ、津軽平野の最南東端、浅瀬石あせいし(現黒石市)とともに八甲田はつこうだ越の山道に対し、浪岡なみおか(現浪岡町)と協力して大光寺本城の側背を守る位置にある。本郭と外郭である二の郭に分れ、本郭は東西一五〇メートル・南北一六〇メートル、四周は深さ一〇メートル、幅一五―二〇メートルの地隙を利用した大堀で囲まれる。二の郭は本郭の北で、東西一五〇メートル・南北約一五〇メートルのほぼ円形、幅の広い堀で囲まれる(津軽諸城の研究)

南北朝動乱期の暦応二年(一三三九)一〇月「尾崎合戦」が行われている(「曾我貞光申状写」遠野南部文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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