屋嘉PW収容所跡(読み)やかPWしゆうようじよあと

日本歴史地名大系 「屋嘉PW収容所跡」の解説

屋嘉PW収容所跡
やかPWしゆうようじよあと

[現在地名]金武町屋嘉

米軍海兵隊基地跡。かつての屋嘉PW収容所は保養施設として使用されていたが、一九七九年(昭和五四年)八月に全面返還された。金武町屋嘉の国道三二九号から沖縄自動車道屋嘉インター付近に至る区域に存在していた。返還面積は〇・〇八二平方キロ。一九四五年の米軍による占領と同時に使用が開始され、沖縄最大の捕虜収容所である屋嘉PW収容所が建設され、約一万人の将兵が収容されていた。収容所建設により屋嘉の集落は収用され、住民は石川収容所へ強制移住させられた。捕虜送還終了後も収容所跡は米陸軍人事厚生事業局の管理下に置かれ、四軍(陸・海・空の三軍と海兵隊)の軍人・軍属およびその家族のための宿泊施設、レストラン、ビーチなどの各種保養施設からなる屋嘉レスト・センターとして継続利用された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android