屋慶名村(読み)やきなむら

日本歴史地名大系 「屋慶名村」の解説

屋慶名村
やきなむら

[現在地名]与那城屋慶名やけな中央ちゆうおう

与那城ゆなぐしく村の東にあり、北は金武きん湾に面する。南は勝連かつちん間切内間うちま(現勝連町)東方にある藪地やぶち島も当村域に含まれる。当初は勝連間切に属し、康熙一五年(一六七六)西原にしはら間切として分立し、同年平田ひらた間切、同二六年からは与那城ゆなぐしく間切に属した。古くは当村は屋部やぶ村とよばれていたが、しばしば火災に遭い、神告により名称を屋慶名と変えると火災はなくなったという(遺老説伝)。「おもろさうし」巻一四の一五には「いちややけな中みち」と当地を通る道が謡われる。絵図郷村帳に「やけな村」とみえる。琉球国高究帳では高頭一〇七石余、うち田六九石余・畠三八石余。里積記によれば田畑とも中の村位。間切同村ではないが、平田間切番所、次いで与那城間切番所が置かれた。現在小字名として平田原ひらたばるが残っており、平田ひらた村はかつて屋慶名村の一部で、平田を含む屋慶名一帯が間切創設時からの中心地であったと思われる。与那城間切番所傍らの交通の要衝屋慶名やけな川に架かる木橋があったが、数年で朽ちたり、あるいは大雨時には損壊したので、嘉慶年間(一七九六―一八二〇)に屋慶名村の夫地頭池味筑登之らによって石橋に架替えられた、池味らはこの功を賞され爵位を与えられた(「球陽」尚温王六年条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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