奄美大島(読み)アマミオオシマ

デジタル大辞泉 「奄美大島」の意味・読み・例文・類語

あまみ‐おおしま〔‐おほしま〕【奄美大島】

奄美群島の主島。→大島

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精選版 日本国語大辞典 「奄美大島」の意味・読み・例文・類語

あまみ‐おおしま‥おほしま【奄美大島】

  1. 鹿児島県奄美諸島の主島。加計呂麻(かけろま)島ほかの属島を含み、名瀬市を中心とする。サトウキビ、パパイヤ、パイナップルを栽培し、特産物に大島紬(つむぎ)がある。阿麻彌島。海見島。大島。奄見。

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日本歴史地名大系 「奄美大島」の解説

奄美大島
あまみおおしま

奄美諸島の北東部に位置する島。単に大島と称され、また奄美として大島をさす場合も少なくない。諸島内で最大の面積をもち、瀬戸内せとうち(大島海峡)を挟んで南東にある加計呂麻かけろま島、さらに南西のうけ島・与路よろ島を含む。東に喜界きかい島、南西に徳之島がある。北部に名瀬なぜ市と笠利かさり町・龍郷たつごう町、中央部に大和やまと村・宇検うけん村・住用すみよう村、南西部に瀬戸内町がある。「海東諸国紀」の琉球国之図に「大島 去恵羅武一百四十五里 属琉球」とある。「中山世譜」首巻に琉球三十六島のうちとして烏世麻(大島と俗称)と記されている。「列朝制度」によれば、大島の周り五九里一〇町で、鹿児島から一四三里、喜界島までは七里、徳之島まで一八里という。「三州御治世要覧」では道之島五島のうちとしている。

〔位置と自然的条件〕

島の北端、笠利崎は北緯二八度三一分四〇秒付近にあり、南端は二八度六分にある皆津かいつ崎である。島の長軸は北東―南西に向かって延び、その距離は約五八キロ、直交する最大幅は約二五キロで、北部の笠利湾では大きくくびれ、幅二キロに満たないところもあるが、南西部ほど幅が広い。面積は七一八・九三平方キロ、最高点は最大幅を示すところに位置する湯湾ゆわん(六九四・四メートル)。海岸線はリアス式のきわめて屈曲に富むもので、北部の笠利半島付近を除いて平坦な低地には恵まれない。島全体が山地といってもよく、いきなり海へ没しているような地形が随所に見られる。海岸近くでは西側の一部を除き珊瑚礁が隠顕岩となって周囲を取囲んでいる。島が大きく、山地が多いことなどから河川も発達し、河谷や河口部にはわずかながら低平な沖積地が見られる。地質は北北東―南南西の走向を示す古生界―中生界の地層が基盤をなし、ごく一部に古期花崗岩類の貫入や、古第三紀の砂岩・頁岩の互層が分布する。湯湾岳は古生界の三宝山層群相当層のチャートや頁岩などからなるが、硬岩であることから、この周辺に四〇〇メートルを超える高所を多く残している。

気候は亜熱帯性の温暖湿潤型を示し、名瀬市の最寒月(一月)の月平均気温は摂氏一四・二度、年平均では二一・三度となっている。年降水量の平年値は二八七〇・七ミリとかなり多い。台風はこの辺りがちょうど転向点にあたるため、毎年のように数回の襲来がある。生物相は本州島と著しく異なり、東南アジアとの類似性が強い。国の特別天然記念物に指定されているアマミノクロウサギは大島と隣の徳之島にしか生息せず、動物部門では第一号の指定(一九二一年天然記念物)を受けた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「奄美大島」の意味・わかりやすい解説

奄美大島
あまみおおしま

鹿児島県奄美諸島の北端に位置し、同諸島中最大の島。属島に加計呂麻島(かけろまじま)、与路島(よろじま)、請島(うけじま)などがある。本島の面積712.38平方キロメートル、島の最高点は湯湾岳(ゆわんだけ)の694メートル。本島と加計呂麻島はリアスの海岸線を有し、極度に屈曲に富む。このような地形であるため、北部の笠利半島(かさりはんとう)付近を除くと、平坦(へいたん)な低地には恵まれず、島全体が山地といってもよい。北東端から、奄美市笠利町地区、龍郷(たつごう)町、奄美市名瀬(なぜ)地区、大和(やまと)村、奄美市住用(すみよう)町地区、宇検(うけん)村、瀬戸内(せとうち)町と並び、瀬戸内町は加計呂麻島、与路島、請島なども含む。地質学的には、大部分が北東―南西走向の数種の古生層に区分され、これらを基盤としてごく一部に古期花崗(かこう)岩類、古第三紀のものと考えられる砂岩・頁岩(けつがん)互層が分布する。気候は亜熱帯性の温暖湿潤型を示し、名瀬地区の最寒月の月平均気温(1月)が14.8℃、年平均気温は21.6℃、年降水量は2838ミリメートルと日本でも最多雨地域に属している。もちろん、梅雨や台風による降水量は多いが、冬期のそれも月平均160~200ミリメートル(以上、1981~2010年の平均)と多く、これが年降水量を増大させる一因ともなっている。これらの自然的条件の影響で、その生物相(動植物)は本土とは著しく異なり、東南アジアとの類似性が強く、特別天然記念物のアマミノクロウサギや毒蛇のハブも生息する。

 奄美大島を含む奄美諸島の歴史は古く、『日本書紀』にまでさかのぼることができるが、この島々が日本領土となったのは、1609年(慶長14)島津家久(しまづいえひさ)による琉球(りゅうきゅう)征服以後である。以後明治時代になるまで藩政が続き、のちに鹿児島県となり現在に至るが、第二次世界大戦後の約8年間は沖縄県と同様アメリカ軍の軍政下に置かれた。日本への復帰は1953年(昭和28)12月25日である。基幹産業は、藩政時代にその栽培技術が伝えられ、以来続いているサトウキビ栽培、および大島紬(つむぎ)の生産で、このほかに水産養殖業、林業などが行われる。近年、国直(くになお)海岸、用安(ようあん)海岸、アヤマル崎、用(よう)海岸、大島海峡などの自然景観、あるいは八月踊り、奄美祭などの年中行事や、伝統芸能、高倉などの民家などを含む観光資源に着目し観光業にも力を入れている。島内の交通路は、山がちな地形や戦後の一時期の社会投資の不足などの原因でいまだ十分とはいえないが、徐々にその遅れを取り戻しつつある。鹿児島市とは大型の定期船や航空機で結ばれ、奄美市名瀬地区は奄美諸島の交通拠点ともなっている。人口6万5969(2009)。

[塚田公彦]

植物

奄美大島はフロラ(植物相)が豊かで固有種も多く、アマミヒイラギモチ、アマミスミレ、ヤドリコケモモ、アマミサンショウソウなど、生態的に興味ある種が分布している。自然植生もよく発達し、シイ、イスノキ、イジュなどの優占する常緑広葉樹林(ケハダルリミノキ―スダジイ群集など)やハドノキ―ヒカゲヘゴ群落などが生育し、金作原国有林(きんさくばるこくゆうりん)内にこれらの原生林が残存している。さらにソテツ群落、アダン群集、クサトベラ群落など、亜熱帯性の植生が海岸沿いに発達している。

[奥田重俊]

世界遺産の登録

2021年(令和3)、奄美大島はユネスコ(国連教育科学文化機関)により「奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島(いりおもてじま)」として世界遺産の自然遺産に登録された(世界自然遺産)。

[編集部 2022年1月21日]

『『奄美――自然と文化』(1959・日本学術振興会)』『昇曙夢著『奄美の島々』(1965・奄美社)』『青野・尾留川編『日本地誌 21』(1975・二宮書店)』『鹿児島県大島支庁編・刊『奄美群島の概況』(各年版)』


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百科事典マイペディア 「奄美大島」の意味・わかりやすい解説

奄美大島【あまみおおしま】

奄美諸島(2010年3月より奄美群島)の主島。たんに大島とも。面積712.35km2。南西部に加計呂麻(かけろま)・請(うけ)・与路(よろ)の属島があり,鹿児島県奄美市・龍郷(たつごう)町・瀬戸内(せとうち)町・大和(やまと)村・宇検(うけん)村がある。山地が多く,海岸線は屈曲に富む。気候は亜熱帯性の温暖湿潤型を示し,アマミノクロウサギをはじめ貴重な生物が生息する。 《日本書紀》に〈海見〉,《続日本紀》に〈菴美〉などとみえ,7世紀には大和政権に知られ,海上交通の中継地として重視されていた。1306年得宗北条氏の被官である千竈(ちかま)時家がこの島をはじめ奄美の島々を譲渡の対象としており,北条氏も海外交易上重要な島々として認識していた。平家落人の伝承がある。琉球に帰属した年代は不詳であるが,1266年に大島の者が入貢したとも,14世紀の琉球三山分立のころ,北山王が領したとも伝える。諸史料から,15世紀中ごろには琉球王国の統治下に入っていたと推定される。1529年の琉球辞令書が残り,近世に引き継がれる間切(まぎり)名がみえる。1609年島津氏琉球侵攻により,鹿児島藩直轄領となる。島内は7つの間切に分かれていた。1879年大島郡に所属。 近世以来のサトウキビに加えて,パパイア,パイナップルなどが栽培されるほか,カツオ漁が行われる。特産品として大島紬がある。鹿児島港からの定期船が頻繁にあり,東京・大阪・神戸からの直行便もある。1988年には笠利町(現・奄美市)にジェット機の発着が可能な奄美空港ができた。
→関連項目沖永良部島笠利[町]喜界島西郷隆盛薩南諸島サバヒー龍郷[町]吐【か】喇列島徳之島名瀬[市]南西諸島与論[町]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「奄美大島」の意味・わかりやすい解説

奄美大島
あまみおおしま

鹿児島県南部,奄美群島の主島群で,本島と付属諸島(加計呂麻島請島与路島およびその他の小島)を合わせて大島または奄美大島と呼ぶ。また,本島だけをさして大島または奄美大島と呼ぶこともある。奄美市龍郷町瀬戸内町の 2町,大和村宇検村の 2村からなるが,奄美市に人口の約 7割が集中する。本島は日本の離島として佐渡島に次ぐ大きさである。琉球王国の統治下にあったが,慶長14(1609)年以後,明治維新まで島津氏の領有地となった。第2次世界大戦後,アメリカ合衆国の軍政下に置かれ,1953年返還。地質は古生層,中生層を主とし,花崗岩も見られる。東部海岸はサンゴ礁海岸段丘が発達。南部は沈水海岸で,大島海峡を隔てて加計呂麻島がある。気候は亜熱帯性で,奄美市名瀬の年平均気温 21℃前後,最寒月(1月)の平均気温は 14℃前後で,東京の 4月下旬に相当する。降水量は年 3000mm程度で東京の約 2倍。台風の襲来が多く,降雪,降霜はほとんどない。主要作物はサトウキビで,黒砂糖が生産される。サツマイモ,米,バナナ,ポンカン,パイナップルなども栽培される。特産品は大島紬かつお節など。ソテツガジュマルビロウヘゴハイビスカスリュウゼツランなどの亜熱帯性植物が島全体に茂る。アマミノクロウサギ(国指定特別天然記念物),ルリカケス(国指定天然記念物)などの希少動物が生息する大島中央部,湯湾岳(694m)などの山地一帯は 2021年,徳之島沖縄島北部,西表島とともに世界遺産の自然遺産に登録された。猛毒をもつハブも生息し,自治体では注意を喚起している。奄美群島国立公園に属する。古仁屋に天然の良港があり,北東部に奄美空港がある。面積 719.88km2(加計呂麻島,与路島,請島は除く)。人口 7万1827(2000)。

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改訂新版 世界大百科事典 「奄美大島」の意味・わかりやすい解説

奄美大島 (あまみおおしま)

鹿児島県南部,奄美諸島の主島。大島または本島ともいう。面積712km2大島支庁のある名瀬市および大島郡笠利,竜郷,瀬戸内の3町と大和(やまと),宇検,住用の3村からなっていたが,2006年名瀬市,笠利町,住用村は合併して奄美市となる。人口6万5770(2010)。古期岩石からなる山地が広く平地に乏しい。最高点は湯湾岳(694m)。気候は亜熱帯的で降水量がはなはだ多く(旧名瀬市で年間2871mm),ソテツその他の亜熱帯樹が茂り,猛毒のハブが生息する。平地が少ないので農業は振るわず,カンショとサトウキビが主であったが,最近パイナップル,ポンカン,パッションフルーツなどの生産がふえてきた。全島の大部分が森林で木材の産出が多く,またソテツが森林をなして自生する。水産業は零細規模で,わずかなカツオ漁のほかは島外資本による真珠養殖があるのみ。奄美諸島の特産大島紬は全島の約400工場で生産されるが,大島,なかでも旧名瀬市が中心である。定期航路は鹿児島港からフェリーボートを含めかなり頻繁に出るほか,東京,大阪,神戸からの便もある。空路は1988年にジェット機発着可能の新奄美空港が旧笠利町に完成し,鹿児島から約1時間のほか,羽田,大阪(関空),那覇および奄美諸島の島々からの便もある。北部の旧笠利町には笠利崎やアヤマル崎など景色のいい観光地がある。旧竜郷町には西郷南洲流謫地跡がある。南西部の旧瀬戸内町は,本島との間に大島海峡を隔てる加計呂麻島や,その南にある請島,与路島などを含む南西部の中心でもあった。この付近もまた風光に優れているが,最近では海中公園センターなどの設備も整えられてきている。シイノキの樹林に覆われた神屋・湯湾岳は天然保護区域に指定されている。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「奄美大島」の解説

奄美大島
あまみおおしま

古くは海見・阿麻美・菴美とも。鹿児島県南部の奄美群島最北にある島。面積712km2。奈良時代は南島路の遣唐船の中継地として重視された。中世には琉球王国の支配下に入ったが,1609年(慶長14)の島津氏の琉球征服以後,鹿児島藩の直轄地。近世前期に中国から甘蔗栽培と黒糖製法が伝わり,島内に広まった。財源として黒糖を有望視した藩は漸次専売政策を強化し,ことに調所広郷(ずしょひろさと)の天保の財政改革で推進された砂糖惣買入専売制度の徹底は,島民にきびしい生活を強いた。明治期以後鹿児島県に属し,第2次大戦後は米軍の直接軍政下におかれたが,1953年(昭和28)12月奄美群島返還の日米協定が調印され,日本に復帰した。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「奄美大島」の解説

奄美大島
あまみおおしま

鹿児島県南方海上にある奄美諸島の主島
682年天武天皇の時代,初めて入貢。1609(慶長14)年以後薩摩藩領となり,その砂糖は薩摩藩の主要財源であった。第二次世界大戦後,アメリカの軍政下に置かれたが,1953年日本に復帰。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

事典 日本の地域遺産 「奄美大島」の解説

奄美大島

(鹿児島県奄美市)
美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」指定の地域遺産。

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

世界大百科事典(旧版)内の奄美大島の言及

【琉球征服】より

…琉球出兵はこのような対明政策を背景として行われた。すなわち,06年3月島津氏は琉球の奄美大島に侵攻する大島入(おおしまいり)の談合をもった。これは前年8月15日,肥前平戸の松浦氏が7月28日幕府から同地に漂着した琉球船の送還と懸案の来聘問題で琉球の打診を命じられたと島津氏に通報したことが,島津家久と父の義弘にこれまでの対琉球関係を維持するために来聘問題解決の手段としての武力行使を決意させたからである。…

※「奄美大島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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