屋我村(読み)やがむら

日本歴史地名大系 「屋我村」の解説

屋我村
やがむら

[現在地名]名護市屋我(やが)

羽地(はにじ)間切の離島屋我地(やがじ)島の南寄りに位置する。集落は背後を丘陵地に囲まれた低地に立地し、南は羽地(はねじ)内海、東は東シナ海に面する。故地は北方の屋我(やが)グスクの古島(ぷるじま)とされる。周辺の村からは大屋我(うぷやが)とよばれる。正保国絵図に羽地(はにじ)間切「やが島」とみえる。絵図郷村帳では同間切「屋賀島」と記される。琉球国高究帳でも同様に記され、高頭一二二石余、うち田一一五石余・畠六石余。「琉球国由来記」では屋我村と記される。乾隆七年(一七四二)の竿入帳によると屋敷数三五(真羽地)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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