山上伊太郎(読み)ヤマガミ イタロウ

20世紀日本人名事典 「山上伊太郎」の解説

山上 伊太郎
ヤマガミ イタロウ

大正・昭和期のシナリオライター,映画監督



生年
明治36(1903)年8月26日

没年
昭和20(1945)年6月18日

出生地
京都府京都市下京区宮川筋

学歴〔年〕
小卒

経歴
東亜キネマを経て大正15年マキノ映画に転じ、「浪人街」(第1話〜第3話)「首の座」など映画史に一時期を画する名シナリオを続々発表。しかし不幸な社内紛争から、自ら監督を志し映画化、惨たんたる結果に終る。昭和18年陸軍軍属となりフィリピンに赴任し、20年戦死著書に「山上伊太郎のシナリオ」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山上伊太郎」の解説

山上伊太郎 やまがみ-いたろう

1903-1945 昭和時代前期の脚本家
明治36年8月26日生まれ。大正15年マキノ映画に入社。マキノ雅広監督とくみ,浪人などを主人公にした時代劇傑作をかいた。昭和20年6月18日陸軍報道班員としてフィリピンで戦死。43歳。滋賀県出身。作品に「浪人街」「首の座」「蹴合鶏(けあいどり)」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山上伊太郎」の意味・わかりやすい解説

山上伊太郎
やまがみいたろう

[生]1903
[没]1945
シナリオライター。 1920年代後半に,すぐれた時代劇の脚本を次々と発表した。主作品『悪魔の星の下に』 (1927) ,『蹴合鶏』 (28) ,『浪人街』 (3部作,28~29) ,『首の座』 (29) 。

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367日誕生日大事典 「山上伊太郎」の解説

山上 伊太郎 (やまがみ いたろう)

生年月日:1903年8月26日
大正時代;昭和時代のシナリオ・ライター;映画監督
1945年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の山上伊太郎の言及

【時代劇映画】より

…また,伊藤大輔は,河部五郎主演《下郎》(1927)で封建的な階級制度を批判して〈傾向映画〉の先駆となるとともに,大河内伝次郎主演《新版大岡政談》(1928)で型破りのヒーロー・丹下左膳を生み出した。一方,大スターが次々に独立していったマキノ映画では,山上伊太郎脚本,マキノ正博(雅弘,雅裕)監督のコンビで,南光明主演《蹴合鶏》《崇禅寺馬場》(ともに1928),南光明,根岸東一郎,谷崎十郎主演《浪人街》三部作(1928‐29),河津清三郎主演《首の座》(1929)と,新鮮な感覚に満ちた時代劇の傑作がつくられた。逆境にある人間の反逆をチャンバラ活劇として描く点では,寿々喜多呂九平から伊藤大輔へ,そして山上・マキノのコンビへと連続していて,その過程で虚無的な反逆精神は一種の社会批判にまで高まったといえる。…

【浪人街】より

…当時(第一話)まだ20歳の監督マキノ正博(1908‐93。のち雅弘,雅裕),また牧野省三に認められて《悪魔の星の下に》(1927)のオリジナルシナリオを書いて〈悪魔派〉などとよばれていた23歳の脚本家山上伊太郎,25歳のカメラマン三木稔(のち滋人と改名)のいずれも20代の若きトリオによるマキノ・プロダクション作品である。安価なヒロイズムを支えにしたチャンバラ時代劇を否定し,スター中心主義の伝統的なスタイルを一変して,貧窮と怠惰の長屋暮しをつづける失業武士たち,社会から疎外されて敗北と挫折の道しか残されていない集団を描いた画期的な時代劇作品であり,そこにはニヒリズムの色が濃いとはいえ,やがて一連の〈傾向映画〉(プロレタリア映画)をつらぬく表現主題ともなる抵抗の姿勢のきざしが見える作品でもある。…

※「山上伊太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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