山住神社(読み)やまずみじんじや

日本歴史地名大系 「山住神社」の解説

山住神社
やまずみじんじや

[現在地名]左京区岩倉西河原町

岩倉いわくら川西岸の山端鎮座石座いわくら大明神とよばれたが、明治以後その名を大雲だいうん寺鎮守八所・十二所両明神社(現左京区石座神社)に譲り御旅所とされる。境内には神殿がなく自然の巨岩を神石とし、古代祭祀の神の降臨する磐座の形態を伝える。「三代実録」元慶四年(八八〇)一〇月一三日条に「山城国正六位上石坐神(中略)従五位下」とある。「雍州府志」には「石座大明神 在北石蔵、相伝天神所籠之窟戸也」とあり、宝暦四年(一七五四)の「山城名跡巡行志」にも「石座神祠 在同村、鳥居東向、所祭以厳為鎮座、 神伝不詳、旧記天神所籠之窟也」と「雍州府志」を引用しての記事がみえる。

山住神社
やまずみじんじや

[現在地名]水窪町山住

水窪河内みさくぼこうち川上流、山住峠にある。祭神は大山祇命、旧県社。縁起では、和銅二年(七〇九)伊予国大山祇おおやまつみ神社(現愛媛県大三島町)より勧請されて山住大権現と称され、養老元年(七一七)元正天皇の勅願と伝える。「延喜式」神名帳記載の周知すち郡の小社「芽原ハキハラノ川内神社」、「三代実録」貞観二年(八六〇)正月二七日条にみえる「原河内神」を当社に比定する説がある(遠江国風土記伝)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報