山内愚仙(読み)ヤマウチ グセン

20世紀日本人名事典 「山内愚仙」の解説

山内 愚仙
ヤマウチ グセン

明治〜昭和期の洋画家 関西美術院創立者。



生年
慶応2年6月19日(1866年)

没年
昭和2(1927)年8月1日

出生地
江戸

本名
山内 貞郎

経歴
高橋由一五姓田芳柳、渡辺文三郎らに学び、明治20年東京府工芸品展に「浅草公園伝法院ノ裏ノ雑沓」を出品。23年大阪朝日新聞に入社し、挿絵担当。34年関西美術会を創立、松原三五郎とともに大阪洋画界で活躍。のちフランスに外遊、大阪洋画界の元老となった。広津柳浪とも交わり、門下からは赤松麟作山本森之助、国枝金三らがでた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山内愚仙」の解説

山内愚仙 やまうち-ぐせん

1866-1927 明治-大正時代の洋画家。
慶応2年6月19日生まれ。高橋由一(ゆいち),五姓田芳柳(ごせだ-ほうりゅう)らにまなぶ。明治23年大阪朝日新聞社に入社,挿絵を担当。34年松原三五郎らと関西美術会を創立。山本森之助ら後進を指導した。昭和2年8月1日死去。62歳。江戸出身。本名は真郎。別号に愚僊。作品に「浅草公園伝法院ノ裏ノ雑沓」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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