松原三五郎(読み)マツバラ サンゴロウ

20世紀日本人名事典 「松原三五郎」の解説

松原 三五郎
マツバラ サンゴロウ

明治〜昭和期の洋画家



生年
元治1年6月13日(1864年)

没年
昭和21(1946)年10月30日

出生地
備前国岡山(岡山県岡山市)

学歴〔年〕
岡山県師範学校変則中学科中退

主な受賞名〔年〕
関西美術会批評会二等賞(第2回)〔明治35年〕「心緒不紊」

経歴
明治11年岡山県師範学校変則中学科に入学。在学中より佐久間瞬一郎らに絵の手ほどきを受け、同校退学の後は上京して五姓田芳柳・ワーグマン・渡辺文三郎に師事した。17年に帰郷、岡山県師範学校や岡山中学校で教鞭を執る傍ら、18年より画塾天彩学舎を経営した。23年大阪師範学校に転任。これに伴って画塾も大阪に移し、以後は関西洋画壇で活躍、25年には山内愚仙らと洋画展を開き、好評を博した。34年山内や田村宗立・牧野克次らと関西美術会を結成し、その委員に就任。35年には「心緒不紊」が第8回新古美術品展三等賞、第2回関西美術会批評会二等賞を受賞。37年に教職を辞したのちは画塾の経営に専念、満谷国四郎・鹿子木孟郎・中川八郎ら多くの弟子を育てた。写実的な画風で知られ、「松木重太郎氏像」などの作品がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松原三五郎」の解説

松原三五郎 まつばら-さんごろう

1864-1946 明治-昭和時代前期の洋画家。
元治(げんじ)元年6月13日生まれ。上京して初代五姓田芳柳(ごせだ-ほうりゅう)らにまなび,明治17年帰郷して岡山師範,岡山中学でおしえる。のち大阪師範などにつとめ,また天彩画塾をひらく。34年京都で関西美術会の結成に参加した。昭和21年10月30日死去。83歳。備前(岡山県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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