すべて 

山内石塔群(読み)やまうちせきとうぐん

日本歴史地名大系 「山内石塔群」の解説

山内石塔群
やまうちせきとうぐん

[現在地名]清武町木原 山内

宮崎医科大学から南側に延びる主要地方道宮崎―北郷きたごう(旧飫肥街道)沿いの丘陵に立地する。石塔群が所在する墓地は、丘陵先端の北面から西面にかけてL字状に三段の平坦面を階段状に削り出している。墓地の形成は一四世紀頃から始まり、一七世紀中頃まで続く。その変遷は二基一対の五輪塔が配置される中世的墓地景観から、一六世紀中頃にはコの字状をはじめとして列状に整然と再配置されるという近世的墓地景観に転換する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

すべて 

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む