日本歴史地名大系 「清武町」の解説 清武町きよたけちよう 宮崎県:宮崎郡清武町面積:四七・八一平方キロ宮崎市を挟んで南北に分れる宮崎郡の南側東部に位置し、北と東は宮崎市、南は宮崎市・南那珂郡北郷(きたごう)町、西は田野(たの)町に接する。宮崎平野の南西部に立地し、町役場を中心に柄鏡状に南西に長く延び、南部は荒平(あらひら)山(六〇二・九メートル)をはじめとする鰐塚(わにつか)山地となっている。鰐塚山を水源とする清武川が町の中心北側を東流し、それに町役場南部付近で鰐塚山地から北東流する岡(おか)川と水無(みずなし)川が合流し、清武川は宮崎市を経て日向灘へ注ぐ。船引(ふなひき)などにはシラス層が広くみられる。主要交通路として国道二六九号およびJR日豊本線が南北にほぼ並行して通り、九州縦貫自動車道宮崎線がこれらと交差して走る。日豊本線には加納(かのう)・清武・日向沓掛(ひゆうがくつかけ)の三駅がある。当町北東部を流れる八重(やえ)川および清武川・水無川の流域には台地が形成され、遺跡の分布がみられる。そのうち清武川と加江田(かえだ)川に挟まれた木原(きわら)から宮崎市熊野(くまの)にかけて広がる台地一帯には宮崎学園都市(みやざきがくえんとし)遺跡群が分布し、そのうちの下田畑(しもたばた)遺跡からは旧石器時代のナイフ形石器が出土。縄文時代の遺跡としては早期の土器を伴った集石遺構を検出した赤坂(あかさか)遺跡などがあり、下田畑遺跡からは前期の曾畑式土器が出土している。清武川北岸の丘陵上には早期の集石遺構を検出した辻(つじ)遺跡、前期の轟B式土器を出土した若宮田(わかみやでん)遺跡などがあり、晩期の遺跡としては今泉(いまいずみ)の小原(おばる)遺跡がある。宮崎学園都市遺跡群内の弥生遺跡としては、中期の住居跡を検出した下田畑遺跡と、終末期前後の住居跡や土坑を検出した浦田(うらた)遺跡があり、加納には甕棺片を出土した福神屋敷(ふくじんやしき)遺跡がある。古墳時代の遺跡として八重川右岸の加納の丘陵地に県史跡の清武古墳の名称で知られた円墳三基が所在していたが、第二次世界大戦前後の開発で消滅し、昭和五九年(一九八四)指定解除され詳細は不明。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by