朝日日本歴史人物事典 「山内首藤経俊」の解説
山内首藤経俊
生年:保延3(1137)
鎌倉前期の武将。父は源氏の家人俊通,母は源頼朝の乳母摩摩局。滝口三郎と称する。刑部丞のち大夫。治承4(1180)年,頼朝の挙兵の呼びかけを悪口で拒否し,石橋山の戦で頼朝を矢で射る。のち降参,相模山内庄は没収されたが,母が先祖の功を訴えて助命された。元暦1(1184)年志太義広を伊勢で討ち,平氏の余党を平定,伊勢,次いで伊賀守護となる。文治1(1185)年源義経の部将の伊勢義盛を鈴鹿山で斬る。元久1(1204)年伊勢・伊賀で平氏の余党平盛時らが蜂起したとき,守護所から逃亡し,守護職を罷免された。89歳の長寿を保った。
(湯山学)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報