山内首藤経俊(読み)やまのうちすどう つねとし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山内首藤経俊」の解説

山内首藤経俊 やまのうちすどう-つねとし

1137-1225 平安後期-鎌倉時代の武将
保延(ほうえん)3年生まれ。山内首藤俊通(としみち)の子。母は源頼朝(よりとも)の乳母摩々局(ままのつぼね)。治承(じしょう)4年(1180)頼朝の挙兵の際,平氏方の大庭景親(かげちか)軍にくわわり石橋山に頼朝を攻めた。戦後山内荘を没収さるが,母の嘆願により命はたすけられた。のち伊勢(いせ)・伊賀(いが)の守護となる。嘉禄(かろく)元年6月21日死去。89歳。通称は滝口三郎,刑部大夫。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の山内首藤経俊の言及

【山内首藤氏】より

…相模出身の中世武家。その祖は藤原秀郷とも藤原師尹ともいう。主馬首となった資清は首藤氏を称し,その子資通は前九年・後三年の役で源義家に従い,資通の孫俊通は相模国山内荘を本拠として山内首藤氏を称し,源義朝に従って保元・平治の乱を戦った。山内首藤氏は主家の乳人を務める源氏譜代の郎党であったが,1180年(治承4)源頼朝の挙兵に俊通の子経俊は応ぜず,山内荘は頼朝に没収された。その後,経俊は頼朝に従い伊勢,伊賀の守護となる。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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