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山内首藤経俊 やまのうちすどう つねとし

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

山内首藤経俊 やまのうちすどう-つねとし

1137-1225 平安後期-鎌倉時代の武将。
保延(ほうえん)3年生まれ。山内首藤俊通(としみち)の子。母は源頼朝(よりとも)の乳母摩々局(ままのつぼね)。治承(じしょう)4年(1180)頼朝の挙兵の際,平氏方の大庭景親(かげちか)軍にくわわり石橋山に頼朝を攻めた。戦後山内荘を没収さるが,母の嘆願により命はたすけられた。のち伊勢(いせ)・伊賀(いが)の守護となる。嘉禄(かろく)元年6月21日死去。89歳。通称は滝口三郎,刑部大夫。

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朝日日本歴史人物事典の解説

山内首藤経俊

没年:嘉禄1.6.21(1225.7.27)
生年:保延3(1137)
鎌倉前期の武将。父は源氏の家人俊通,母は源頼朝の乳母摩摩局。滝口三郎と称する。刑部丞のち大夫。治承4(1180)年,頼朝の挙兵の呼びかけを悪口で拒否し,石橋山の戦で頼朝を矢で射る。のち降参,相模山内庄は没収されたが,母が先祖の功を訴えて助命された。元暦1(1184)年志太義広を伊勢で討ち,平氏の余党を平定,伊勢,次いで伊賀守護となる。文治1(1185)年源義経の部将の伊勢義盛を鈴鹿山で斬る。元久1(1204)年伊勢・伊賀で平氏の余党平盛時らが蜂起したとき,守護所から逃亡し,守護職を罷免された。89歳の長寿を保った。

(湯山学)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の山内首藤経俊の言及

【山内首藤氏】より

…相模出身の中世武家。その祖は藤原秀郷とも藤原師尹ともいう。主馬首となった資清は首藤氏を称し,その子資通は前九年・後三年の役で源義家に従い,資通の孫俊通は相模国山内荘を本拠として山内首藤氏を称し,源義朝に従って保元・平治の乱を戦った。山内首藤氏は主家の乳人を務める源氏譜代の郎党であったが,1180年(治承4)源頼朝の挙兵に俊通の子経俊は応ぜず,山内荘は頼朝に没収された。その後,経俊は頼朝に従い伊勢,伊賀の守護となる。…

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