日本歴史地名大系 「山口明倫館跡」の解説 山口明倫館跡やまぐちめいりんかんあと 山口県:山口市山口町中河原町山口明倫館跡[現在地名]山口市中河原町亀(かめ)山の東、一(いち)ノ坂(さか)川の西に位置する。文化一〇年(一八一三)山口在住の萩藩士上田鳳陽は、山口に学舎がなく書籍も乏しいことを憂い、講堂を中河原(なかがわら)の地に創立した。弘化二年(一八四五)には講習(こうしゆう)堂と改称、文武諸芸の総合学舎となり、万延元年(一八六〇)には萩明倫館直轄として運営されるようになった。さらに文久元年(一八六一)には少し西の亀山東麓の地に移転、同三年藩庁の山口移転に伴い、萩明倫館の諸生も大部分が移って、その年一一月には山口明倫館と改称した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報