山口正定(読み)やまぐち・まささだ

朝日日本歴史人物事典 「山口正定」の解説

山口正定

没年:明治35.3.21(1902)
生年天保14.9.25(1843.10.18)
水戸藩士,のちに明治天皇側近。通称徳之進。幕末には尊攘派として活動した。文久3(1863)年藩主徳川慶篤に従い上京,家老の下で京都守衛に当たる。藩論が佐幕となったのちも京都に留まり,慶応4(1868)年,勅を奉じ帰藩した。戊辰戦争に藩兵を率いて出征後,権大参事となる。明治5(1872)年士族を登用する宮中改革の流れをうけて侍従として宮内省出仕。10年侍補。11年海軍中佐兼侍従長となり,佐佐木高行と共に天皇と海軍の意思疎通に努めた。のち侍従,主猟局長官,主殿頭,宮中顧問官などを歴任し,男爵を授けられた。<参考文献>『水戸藩史料』,宮内庁『明治天皇紀』

(西川誠)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山口正定」の解説

山口正定 やまぐち-まささだ

1843-1902 幕末-明治時代の武士,官僚
天保(てんぽう)14年9月25日生まれ。常陸(ひたち)水戸藩士。尊攘(そんじょう)派。京都の守護にあたり,慶応4年帰藩。戊辰(ぼしん)戦争で新政府軍に参加。維新後は宮内省にはいり,侍従長,宮内大書記官などを歴任。海軍大佐。明治35年3月21日死去。60歳。通称は徳之進。

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