アメリカ美術(読み)あめりかびじゅつ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アメリカ美術」の意味・わかりやすい解説

アメリカ美術
あめりかびじゅつ

アメリカ美術は、多人種によるデモクラシー社会と広大な大自然という二つの条件の複合によって形成された美術である。アメリカ美術の歴史が始まってから2世紀半にも満たないが、もともと継承すべき伝統、破壊すべき伝統をもたないアメリカ美術がたどってきた道程には、ヨーロッパ美術にはみられない特異性がある。

[桑原住雄・黒沢眞里子]

絵画

肖像画

アメリカ美術の冒頭を飾るのは18世紀初頭の肖像画である。東部沿岸の植民地で描かれた稚拙でプリミティブな肖像画には、当時の民衆の素朴で真摯(しんし)な世界観が反映しているが、それにヨーロッパから流入したロココ様式、新古典様式が結び付いて、B・ウェスト、J・S・コプリーなどが登場する。二人はロンドンに渡って宮廷画家となり、新古典主義に続くロマン主義絵画の分野でも活動した。ウェストのもとで修業したC・W・ピール、J・トランブルJohn Trumbull(1756―1843)、G・スチュアートなどは1776年の独立宣言に続く独立戦争の英雄像や歴史画を描き、独立期の叙事詩をうたった。なかでもスチュアートのワシントン像は初代大統領の肖像画の決定版として現在も使われている。しかし肖像画は、19世紀前半にもたらされた写真によって衰退し、かわって風景画、風俗画が登場する。

[桑原住雄・黒沢眞里子]

風景画

1830年代は、第7代大統領A・ジャクソンによって推進された西部開拓とナショナリズムの自覚によって、アメリカ・ルネサンスとよばれる時代の幕が切って落とされた。文芸、美術はかつてない盛況を呈し、アメリカにおける初めての流派としての風景画派が誕生した。ハドソン・リバー派がそれで、T・コール、A・B・デュランドAsher Brown Durand(1796―1886)、F・チャーチ、A・ビアスタットAlbert Bierstadt(1830―1902)などはハドソン渓谷流域を中心として西部へと視野を拡大し、壮大な景観を描いた。彼らの活動は西部開拓の波に歩調をあわせたものであり、大自然を劇的構成で克明に描写した。これはフランスにおけるバルビゾン派の活動と並行する一種のロマン主義絵画であったことに注目しておきたい。ハドソン・リバー派とは離れて静寂な風景画を描いたF・H・レーンFitz Hugh Lane(Fitz Henry Laneともよばれる。1804―1865)、M・J・ヒードMartin Johnson Heade(1819―1904)などリュミニスト(映光派)の活動も見逃すことはできない。風俗画の台頭には当時の庶民の自覚と役割の増大がその背景にあり、健康で楽天的な西部の人々の日常生活を生き生きととらえた風俗画が一般に喜ばれることになった。E・ジョンソン、W・S・マウントWilliam Sidney Mount(1807―1868)、G・C・ビンガムGeorge Caleb Bingham(1811―1879)などの作品は、善良なオプティミズムとユーモアにあふれる外向性に裏づけされたものである。

[桑原住雄・黒沢眞里子]

自然主義絵画

南北戦争(1861~1865)後に現れたアメリカン・リアリズムとよばれる自然主義絵画は、W・ホーマーとT・エイキンズによって代表され、彼らの人物画と風景画は戦争前のそれを乗り越える新しい視座をもっていた。ホーマーはアメリカ最大の自然詩人といわれているように、深い自然観照と明快な客観描写を貫き、エイキンズは徹底したリアリズムで世紀末の知的中流階級の状況をとらえた。この二人と並行した幻想画家A・ライダーはアメリカン・ロマンチシズムの典型として高く評価されている。またこの時代は、急速に増大する富の蓄積とヨーロッパ美術への関心から、ヨーロッパに赴いて活動する画家も増え、J・M・ホイッスラー、M・カサット、J・S・サージェントなどがフランス印象派(印象主義)とかかわりながら優れた業績をあげる一方、フランス印象派を学んでアメリカに伝えたT・ロビンソンTheodore Robinson(1852―1896)、J・H・トワックマンJohn Henry Twachtman(1853―1902)、A・ウェアAlden Weir(1852―1919)などがいた。富豪による美術コレクションが始まり美術館が各地に誕生したのもこの時代で、メトロポリタン美術館、ボストン美術館、シカゴ美術館などが1870年代に開設されている。

[桑原住雄・黒沢眞里子]

前衛美術と写実主義

20世紀の開幕を告げるのはニューヨークに現れた二つの革新運動である。一つは写真家A・スティーグリッツが1905年に開いた291ギャラリーにおける前衛美術の展開であり、もう一つはR・ヘンライを中心として1908年から展開されたジ・エイトの写実主義運動であった。前者はパリにおけるモダニズムの潮流をアメリカに連動させる機能を果たし、フォービスム、キュビスムなどを紹介するかたわらアメリカの若い画家J・マリン、C・デミュスCharles Demuth(1883―1935)、G・オキーフ、M・ウェーバーMax Weber(1881―1961)などを育てた。後者はアカデミズムへの意図的な反対提案として都市の日常生活を暗いリアリズムでとらえ、主題と観点の革新になった。これにはJ・スローンJohn Sloan(1871―1951)、W・グラッケンズWilliam James Glackens(1870―1938)、G・ラクスGeorge Luks(1867―1933)などが参加している。しかし1913年に開催されたアーモリー・ショーは大きな衝撃を与えると同時に、アメリカ美術を当時の国際美術の潮流に巻き込むことになった。とくにキュビスムはその後のアメリカ美術に一つの方向を与えたとみられ、M・ハートレーMarsden Hartley(1877―1943)、マン・レイの総合的キュビスムから、C・シーラー、M・シャンバーグMorton Schamberg(1881―1918)などの折衷様式が生まれる契機となった。

 1920年代から1930年代にかけて写実様式が隆盛をみせ、いわゆるアメリカン・シーン派と社会派が登場する。アメリカン・シーンのなかの一派リージョナリズム(地方主義)は、中西部こそアメリカの原点だとするG・ウッド、T・H・ベントン、J・S・カリーJohn Steuart Curry(1897―1946)によって代表されるが、これは愛国主義と反モダニズムの結合によって生まれたもので、S・アンダーソン、S・ルイスなどの文学と対応している。未曽有(みぞう)の不況とファシズムの勃興(ぼっこう)による国際情勢の緊張とアメリカ国内の矛盾は社会派の進出を促し、B・シャーン、P・エバグッドPhilip Evergood(1901―1973)、J・レビンJack Levine(1915―2010)などは鋭い社会批判を絵画化した。これらの動向は、ルーズベルト政権が実施したWPA(事業促進局)の連邦美術計画に吸収され、全国的に展開された壁画運動に反映した。連邦美術計画は美術家の救済を意図したものだったが、近代美術が宿命的にもっている反社会性を取り払い、美術家に社会的使命感をもたせると同時に、美術を社会に普及させる効果をもつことになった。

[桑原住雄・黒沢眞里子]

抽象絵画

このような情勢のなかで1930年代末ごろからニューヨークで始められた新しい抽象絵画の模索は、1940年代に入って抽象表現主義の実現をもたらし、1950年代の中ごろまでがその全盛期となった。抽象表現派の登場によってアメリカは初めてアメリカ自身の絵画をもったといわれているように、アメリカ文明の基本的な情念であるロマンチシズムを核とする新しい絵画様式がここで完成されたとされている。第二次世界大戦を避けて渡米したエルンスト、モンドリアン、マッソンなどの影響とユングの深層心理学が抽象表現派の前景にあったとみられ、J・ポロック、W・デ・クーニング、F・クラインなど動きの激しいタッチによるアクション・ペインティング系と、M・ロスコ、B・ニューマン、A・ラインハートなど平面的な色面によるカラー・フィールド・ペインティング系があり、それに中間的な様式をもつ流れが加わって三つの系列が展開した。彼らはいずれも広大な画面を舞台として自在な情念表現を敢行したが、1950年代末から1960年代初めにかけて衰退し、かわってポップ・アートとポスト・ペインタリー・アブストラクションといわれる新しい抽象が誕生した。前者は第一次世界大戦中渡米したデュシャン、ピカビアなどのダダイズムと抽象表現主義を新しい次元で結合したもので、R・ラウシェンバーグ、J・ジョーンズ、C・オルデンバーグ、J・ローゼンクイスト、R・リクテンスタイン、A・ウォーホル、T・ウェッセルマンTom Wesselmann(1931―2004)などが活動した。後者は抽象表現派の色面抽象系を受けて新しく展開したもので、E・ケリー、J・ヤンガーマンJack Youngerman(1926―2020)、H・フランケンサーラー、M・ルイス、K・ノーランド、F・ステラ、S・フランシスなどが明快で非情な色面抽象を純化した。

[桑原住雄・黒沢眞里子]

概念の多極化

1960年代後半から美術概念が多極化するとともに、多様な実験がめまぐるしく現れては消えたが、それ以後の美術は、物質と人間とのかかわりの根源にまでさかのぼって美術をとらえ直そうとするコンセプチュアル・アートの影響を軸として、展開したとみられる。

 1970年代に入ると、ポップ・アートによる大量生産された機械的なイメージから離れ、個人的で詩的なテーマが現れ、また筆やイーゼルを使ったハンド・ペインティングなどの伝統的な技術や素材に回帰する傾向が現れた。アメリカは1970年代に建国200年を迎えたこともあり、アメリカ独自の文化を見つめ直す風潮が、抽象表現主義によって押さえられていたアメリカ的テーマの探究をふたたび浮上させた。R・エステス、C・クローズChuck Close(1940―2021)などのアメリカの日常の光景を写真のような映像に還元したスーパーリアリズムは、ポップ・アートのようにだれにでも理解できる芸術として、より多くのアメリカ人に受け入れられた。

 1980年代は、J・シュナーベル、D・サーレ、J・ボロフスキーJonathan Borofsky(1942― )など、より具象的イメージに回帰した新表現主義あるいはニュー・ペインティングとよばれる画家たちの活躍がみられた。1980年代以降はとくにはっきりとした動向があるわけではなく、暴力、死、性や人種、ジェンダーなどの社会問題を扱ったものなど、多様な価値観を受容するアメリカ社会を反映して美術の現状も多様な様相を呈している。

 この多様性は芸術活動拠点の多極化にも現れ、1970年代以降ニューヨーク以外の地方を中心とした芸術活動が盛んとなる。これは1960年代に連邦政府の芸術助成機関、全米芸術基金(NEA)が設立され、地方を拠点としたアメリカの土着的、多元主義的な芸術活動が促進されたことが大きい。ロサンゼルス、サンフランシスコ、シカゴ、ワシントンDC、ボストンなど強力な芸術活動拠点が生まれ、主流派とはかならずしも一致しないテーマ、スタイルが生み出されている。

[桑原住雄・黒沢眞里子]

彫刻

彫刻の展開は絵画より遅れ、19世紀中ごろの新古典主義彫刻から始まる。H・グリーノーHoratio Greenough(1805―1852)、H・パワーズHiram Powers(1805―1873)などの優美な新古典的作品は一般に歓迎されたが、形式に縛られた限界をもっていた。19世紀後期に入るとA・セント・ゴーデンスAugustus Saint-Gaudens(1848―1907)、D・C・フレンチDaniel Chester French(1850―1931)などの自然主義彫刻が登場して肖像彫刻とモニュメントの領域で活動したが、前者は都市における記念碑を多く手がけ、後者は1893年の世界コロンビア博覧会(シカゴ)を頂点として活動した。ヨーロッパ・モダニズムに対応する彫刻が現れるのは20世紀に入ってまもなくで、E・ネイデルマンElie Nadelman(1882―1946)、G・ラシェーズ、P・マンシップPaul Manship(1885―1966)、W・ゾラーチ(ゾラック)William Zorach(1887―1966)などは端麗な造形による具象彫刻を残した。それに続くN・ガボ、T・スミス、A・コルダーによる抽象彫刻はキュビスムとシュルレアリスムを消化したもので、L・ニーベルスン、イサム・ノグチなどがそれを受け継いでいる。彼らと並行して展開したマン・レイなどのダダイズム彫刻の流れも見逃せないであろう。1950年代から現れるアッサンブラージュの領域ではJ・コーネル、E・キーンホルツEdward Kienholz(1927―1994)、ラウシェンバーグがおり、抽象表現主義絵画に対応するM・ディ・スベロ、ポップ・アート系のオルデンバーグ、マリソルMarisol Escobar(1930―2016)、G・シーガルなどと並ぶプライマリー・スカラプチュアにはK・スネルソンKenneth Snelson(1927―2016)、T・スミスなどがいる。またクリスト、R・スミッソンなどのランド・アートは、大自然の一部を実験の場として巨大な空間と取り組んだ。D・ハンソン、C・アンドレなどの人物像はスーパーリアリズムと呼応する試みである。

 なお絵画でも彫刻でもない領域のものとして蛍光、レーザー、ホログラフィーをはじめとする光による純粋視覚の実験も盛んに行われている。

[桑原住雄・黒沢眞里子]

『B・ローズ著、桑原住雄訳『二十世紀アメリカ美術』(1970・美術出版社)』『A・A・デイビッドソン著、桑原住雄・桑原未知世訳『アメリカ美術の歴史』(1976・パルコ出版局)』『桑原住雄著『アメリカ絵画の系譜』(1977・美術出版社)』『近藤竜男著『ニューヨーク現代美術 1960~1988』(1988・新潮社)』『藤枝晃雄著『アメリカの芸術――現代性を表現する』(1992・弘文堂)』『木島俊介著『アメリカ現代美術の25人』(1995・集英社)』『エミール・ディ・アントニオ、ミッチ・タックマン著、林道郎訳『現代美術は語る――ニューヨーク・1940―1970』(1997・青土社)』『ドリー・アシュトン著、南条彰宏訳『ニューヨーク・スクール――ある文化的決済の書』(1997・朝日出版社)』『瀬木慎一監修、山本容子著『現代美術とアメリカ――ニューヨークでながめる美の現在』(1998・ベネッセコーポレーション)』『津神久三著『画家たちのアメリカ』(2000・新潮社)』『ジェーン・ヴーヒーズ・ジマーリ美術館編『ホイッスラーからウォーホルまで――版画に見るアメリカ美術の100年』(2000・ゆまに書房)』『B・ノヴァック著、黒沢眞里子訳『自然と文化――アメリカの風景と絵画1825-1875』(2000・玉川大学出版部)』『金悠美著『美学と現代美術の距離――アメリカにおけるその乖離と接近をめぐって』(2004・東信堂)』『津神久三著『青年期のアメリカ絵画――伝統の中の六人』(中公新書)』


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改訂新版 世界大百科事典 「アメリカ美術」の意味・わかりやすい解説

アメリカ美術 (アメリカびじゅつ)

アメリカ美術は,ヨーロッパから派生しながら独自の美的価値を樹立した美術体系である。その歴史は200余年とまだ浅いが,風土的・歴史的要因の複合作用によって,旧大陸には見られない新しい美術となった。アメリカは20世紀中ごろに現代美術の主導的地位を獲得するが,それ以前の美術は次のような背景,特質をもつ。まず,アメリカ美術の舞台は広大で過酷な大自然であった。特に19世紀中ごろには,アメリカ人自身の自然観にもとづく雄大な風景画が数多く生み出された。第2に,植民地時代以来の移民の歴史がアメリカ美術の形成に大きく作用した。最初に東部に入ったアングロ・サクソン系移民,いわゆるワスプがアメリカ文明の基本的な枠組みを作ったといわれるが,美術についても同様で,事実への信頼,直截で単一なビジョンへの執着,明快さと堅牢さの尊重など,アメリカ美術の特徴はイギリス美術と共通するものである。19世紀末から20世紀初めにかけては東欧,南欧から移民が大量に流入した。この新たな民族集団の移住は,ワスプ社会の文化構造を大きく変え,さらに第2次大戦後のラテン・アメリカ系移民の流入によって,美術表現は著しく多様化した。第3に,土着民族インディアンの美術は初期移住者とその子孫の美術にはほとんど影響を及ぼさず,アメリカ美術の出発点となり,長らく模範であり続けたのは,ヨーロッパの美術であった。初期からアメリカ生れの美術家は,しばしばヨーロッパで修行の数年間をすごし,技法を学ぶのみならず,古代から当代までの美術品に触れて帰国した。この状況は20世紀初めまで続く。第4に,デモクラシー思想によって,アメリカの美術界にはヨーロッパのアカデミーのごとき強固なヒエラルヒーがほとんど存在しなかった。20世紀に入ってからは,資本主義体制の急速な発達に伴う社会のモビリティの増加が美術におけるさまざまの実験的試みを可能にし,様式の目まぐるしい変化に拍車をかけた。第2次大戦後はこの現象が加速され,1950年代から70年代後半にかけて,フランス(パリ)に代わってアメリカが現代美術の中心的地位を占めるにいたる。

17~18世紀のアメリカ美術は肖像画の時代である。植民地社会の中心を占めるプロテスタント(ピューリタン,クエーカーなど)の教会では宗教的イメージ(聖像)の制作が厳禁されたため,宗教美術は存在しなかった。独立以後もアメリカはアングロ・サクソン系の社会理念で統一され,財産と地位を築いた人々がまず求めたのは肖像画であった。18世紀後半には,ヨーロッパの新古典主義と呼応して,建国の英雄たちを一種の理想像として描くことも行われる。J.S.コプリーとB.ウェストが18世紀アメリカを代表する二大画家であるが,ヨーロッパでは最も高貴な分野とされる歴史画がパトロンの趣味,価値観の違いなどによりアメリカに定着しにくい状況を見,ともにのちに渡英し,後者はローヤル・アカデミーの院長に就き成功をおさめた。19世紀初頭に,アメリカ最初の美術学校ペンシルベニア美術アカデミー(1805),ついでナショナル・アカデミー・オブ・デザイン(1826)がようやく創設されるが,ヨーロッパに学ぶ者も少なくなかった。1820年代に,ハドソン・リバー派と呼ばれる一群の風景画家が現れる。同派の活動は,絵画によるアメリカの大自然の発見ともいえるものである。時期的にはフランスのバルビゾン派とほぼ重なるが,ハドソン・リバー派の中心的画家T.コールの,風景そのものを至高のバイブルと見る姿勢は,明らかに思想家R.W.エマソンの自然観と同じ系列にある。19世紀後半には自然の記録へと視座は移ってゆき,その自然主義的リアリズムは,世紀末には内面的な主観表現の道をたどった。また風景画と並んで19世紀中ごろ以降,東部各都市や中西部のフロンティアで,日常生活に題材をとる風俗画が隆盛を見た(マウントWilliam Sidney Mount(1807-68),ビンガムGeorge Caleb Bingham(1811-79),ジョンソンEastman Johnson(1824-1906)など)。庶民の健康的で陽気な暮しを平明に描写する当時の風俗画は,国民詩人ホイットマンの文学に通じるものをもつ。ほかに,アメリカの鳥類と四足獣を正確に記録したJ.J.オーデュボンの存在も忘れがたい。南北戦争後のアメリカは近代資本主義社会の形成に向けて大きく飛躍していく。戦後の急成長を象徴する独立100年記念のフィラデルフィア博覧会(1876)には日本からも出品され,美術工芸運動やジャポニスム隆盛の直接のきっかけとなった。19世紀後半には,W.ホーマー,T.エーキンズらの写実的傾向,A.P.ライダーらの幻想的表現が見られた。他方,J.A.M.ホイッスラーやM.カサットはヨーロッパで印象派と深くかかわり,ロビンソンTheodore Robinson(1852-96),C.ハッサム,トワクトマンJohn Henry Twachtman(1853-1902),パリとロンドンで肖像画家として活躍したJ.S.サージェントらが印象派の画風を持ち帰る。すなわち,アメリカ独自のビジョンを求める系列と,ヨーロッパのラファエル前派や印象派を吸収した系列が交差しつつ展開したのがこの時期の美術である。

 20世紀に入ると,アメリカの美術は加速度的に多様化する。世紀初頭には二つの革新運動がニューヨークに現れた。一つは1905年,写真家A.スティーグリッツによる〈291〉ギャラリー(ニューヨーク)の開設とそこを中心とした前衛美術の展開(マリンJohn Marin(1870-1953),デミュスCharles Demuth(1883-1935),G. オキーフ,ウェーバー(美術家)Max Weber(画家)(1881-1961)ら)であり,もう一つは08年以降のR.ヘンライを中心とする〈ジ・エイトThe Eight(8人組)〉グループの活動(スローンJohn Sloan(1871-1951),ラクスGeorge Benjamin Luks(1867-1933),デービスArthur Bowen Davies(1862-1928)ら)である。前者は同時代パリのモダニズムを伝える窓口として,またアメリカの近代美術を育成する拠点として機能した。後者はアカデミズム化していた画壇に反抗して都市生活の日常をリアルに描き,〈アッシュ・キャン・スクールAsh Can School(ちり箱派)〉とも呼ばれた。これらに続き,第1次大戦直前の13年に国際近代美術展〈アーモリー・ショー〉が催される。これはヨーロッパの近代芸術を紹介するアメリカ最初の大規模な展覧会として,美術界に大きな衝撃を与えた。以後,フォービスム,キュビスム,表現主義等を消化した世代がアメリカ独自の近代美術を形成する(マリン,ウェーバーのほか,S. デービス,シーラーCharles Sheeler(1883-1965),E.ホッパー,マン・レイら)。しかし第1次大戦の勃発によりヨーロッパからの影響が薄れて,中西部を拠点とする写実主義的なリージョナリズム(地方主義)が台頭した(T.H. ベントン,ウッドGrant Wood(1892-1941),カリーJohn Steuart Curry(1897-1946)ら。アメリカン・シーン・ペインティング)。こうしたナショナリズム的傾向は,大恐慌(1929)後実施されたニューディールの一環であるWPA(事業促進局)の美術計画(公共建造物の壁画制作促進など)に流れこんでいった。またリトアニア出身のベン・シャーンらの社会派,アルメニア出身のA.ゴーキーらの前衛的傾向も存在した。すでに10年代にF.ピカビア(1913)とM.デュシャン(1915)がニューヨークに来ていたが,第2次大戦が起こると戦禍を避けてM.エルンスト,P.モンドリアン,A.マッソン,F.レジェらヨーロッパのシュルレアリスム,抽象美術の作家が相ついで渡米する。彼らの渡来は,20世紀アメリカ美術の一つの転機であり,戦中・戦後の新しい動向を生む素地を用意するものであった。40年代にニューヨークに登場する抽象表現主義はキュビスムとシュルレアリスムを背景とし,ヨーロッパのアンフォルメルに対応するものである。これには激しい動きを画面に投入したアクション・ペインティングの一派(J. ポロック,W. デ・クーニング,クラインFranz Kline(1910-62)ら)と,平面的な色面によるカラー・フィールド・ペインティングColor-Field Paintingの流れ(M. ロスコ,ニューマンBarnett Newman(1905-70),スティルClyfford Still(1904-80),ラインハートAd Reinhardt(1913-67)ら)があり,両者とも巨大なキャンバスをいっぱいに使った衝撃的な絵画を創造した。40年代後半から50年代半ばごろまでが抽象表現主義絵画の全盛期だったが,クライン,ポロックの相つぐ死去および抽象表現主義絵画そのものが抱えていた問題によって50年代末から崩壊し,代わってポップ・アートと新抽象(ポスト・ペインタリー・アブストラクションPost-Painterly Abstraction)の二つが現れる。個人的な主観主義の袋小路に入りこんだ抽象表現派の行きづまりを批判的に乗り越えようとしたのがこの世代で,彼らは抽象表現派が一時的に結びつけたシュルレアリスムとキュビスムを元の姿に解体し,そのうえで時代に対応する新しい方向をさぐった。前者にはR.ラウシェンバーグ,J.ジョーンズ,C.オルデンバーグ,ローゼンクイストJames Rosenquist(1933- ),R.リクテンスタイン,A.ウォーホル,G.シーガル,ウェッセルマンTom Wesselmann(1931-2004),マリソルMarisol Escobar(1930- )などがおり,彼らは主として大量生産品や大衆社会のイメージを取り出して注釈を加えた。後者にはケリーEllsworth Kelly(1923- ),ヤンガーマンJack Youngerman(1926- ),ヘルドAl Held(1928-2005),フランケンサーラーHelen Frankenthaler(1928-96),S.フランシス,ノーランドKenneth Noland(1924- )らがいて,明快で非人間的な色面操作を行った。60年代後半から美術概念が飛躍的に多極化し,美術を物質と人間のかかわりの原点にまで還元しようとする概念芸術(コンセプチュアル・アート)の出現以来,さまざまな実験が繰りひろげられた。オッペンハイムDennis Oppenheim(1938- ),スミッソンRobert Smithson(1938-73),クリストなどのランド・アートLand Artは,砂漠や海岸などを造形の場に選び,クローズChuck Close(1940- )らのスーパーリアリズムも出現する。さらに表現そのものを拒否するものから,D.フレービンなどの蛍光による純粋視覚の試み(ライト・アート)まで多岐をきわめたが,70年代後半からエネルギーを失い,80年代初めに表現主義的な〈ニュー・ペインティングNew Painting〉が登場したが,新しい突破口にはなっていない。

初期には木彫肖像も作られていたが,本格的な彫刻は19世紀中期の,イタリアに学んだH.グリノーなどの新古典主義彫刻にはじまる。19世紀末ごろにはA.セント・ゴーデンス,フレンチDaniel Chester French(1850-1931)などのアカデミックな自然主義が台頭し,一方では西部の生活(インディアン,カウボーイ)を主題にしたレミントンFrederic Remington(1861-1909),ラッセルCharles Marion Russell(1864-1926)なども活動した。ヨーロッパのモダニズムと対応する彫刻が現れるのは20世紀に入ってからで,ネーデルマンElie Nadelman(1882-1946),ラシェーズGaston Lachaise(1882-1935),マンシップPaul Manship(1885-1966)らの出現以降のことである。抽象彫刻が生まれたのは1930年代のスミスTony Smith(1912-80)やA.コールダーらの活動からで,L.ネベルソン,イサム・ノグチなどがそれに続く。絵画の抽象表現主義と通底する彫刻が第2次大戦後に登場し,50年代から現れたアッサンブラージュの領域ではコーネルJoseph Cornell(1903-73),キーンホルツEdward Kienholz(1927-94)が活動した。ポップ・アート系とプライマリー・ストラクチャーズ系(ジャッドDonald Judd(1928-94)ら)の彫刻は相互に交流しながら今日にいたっている。現在は公共彫刻の隆盛によってアメリカ彫刻はかつてない活況を呈している。

コロニアル期はそれぞれ出身地の建築様式が移植され,木造ないし石造の素朴な住宅,教会が作られた。独立期前後はイギリスのジョージアン様式を模倣した,いわゆるコロニアル・スタイルが生まれたが,19世紀初め渡米したランファンPierre Charles L'Enfant(1754-1825),B.H.ラトローブなどによって国際様式がもたらされる。南北戦争前後にはハントRichard Morris Hunt(1828-95)に代表されるギリシア様式とゴシック様式,ルネサンス様式の折衷が見られた。この傾向を批判的に乗り越えようとしたのが20世紀初頭のL.H.サリバン,F.L.ライトたちの〈シカゴ派〉で,工業技術の進歩を背景に鉄骨構造の商業的高層ビルを発達させ,スカイスクレーパー(摩天楼)の端緒をひらいた。1920年代に入ると消費社会に適合するマーケットからモーテルにいたる機能的な様式が現れ,30年代のWPA計画ではローコストによるハウジングと並行して古典様式や国際様式が出現している。第2次大戦後は未曾有の好況を反映して多くの実験的な近代建築が生まれ,ヨーロッパから移住したW.グロピウス,サーリネン(子),L.ミース・ファン・デル・ローエ,L.I.カーン,R.ノイトラをはじめ,P.C.ジョンソン,ミノル・ヤマサキ,ペイIeoh Ming Pei(1917- )などの活動が目だった。70年代以降は社会構造の複雑化によって建築概念も多様化し,グレーブスMichael Graves(1934- )らに代表される,さまざまの歴史的様式をとりこんだ〈ポスト・モダニズムPost-modernism〉の潮流も生まれてきた。

アメリカの工芸は初期植民地時代から日常の家具を中心として多様に展開し,テキスタイル,ガラス,銀細工なども移民集団によってそれぞれの特色をもったものが生産された。19世紀後半以降,機能主義と造形主義の洗礼によってデザイン上の変革が起こり,さらに大量生産・大量消費という社会的条件の変化によって全面的な変質が迫られた。1920年代後半にベル・ゲッデスNorman Bel Geddes(1893-1958),ティーグWalter Dorwin Teague(1883-1960)らがインダストリアル・デザイナーとして独立し,37年にはシカゴでL.モホリ・ナギの指導下に〈ニュー・バウハウス〉が設立されデザイン教育の中心となった。第2次大戦後は家具の分野で,ヨーロッパ出身の建築家のほかネルソンGeorge Nelson(1908-86),C.イームズらが機能主義的造形を生み出した。一般に実用主義がアメリカの工芸を貫く基本原理である反面,フォーク・アートのような素朴で稚拙な側面ももっている。

アメリカが日本美術の存在について本格的に注目しはじめたのは,明治前期のフェノロサによる研究の時点からであったのに対し,日本がアメリカ美術に関心を払いはじめたのは遅く,第2次大戦以後である。その理由はアメリカ美術自身の若さに原因があるとともに,戦前の日本がヨーロッパ,とりわけフランス美術の吸収に没頭していたためといってよい。アメリカでは19世紀末ごろジャポニスムが隆盛し,20世紀初頭には〈フェノロサ・ダウ方式〉という日本画の筆づかい等をとりいれた日本式美術教育が実施された。清水登之(とし)(1887-1945),国吉康雄,石垣栄太郎(1893-1958),野田英夫(1908-39)らは,例外的にアメリカで学び活動した画家で,1910-40年代にアメリカの現実社会をやや哀愁を帯びた調子で描いた。第2次大戦後は,アメリカ美術が日本の現代美術に直接大きな影響を与える。特に抽象表現主義の登場以来,やつぎばやに現れた実験的試みは日本の前衛領域を著しく刺激した。一部のヨーロッパ系美術の影響を除けば,日本の戦後美術はアメリカの同時代美術の文脈をたどって形成されたもので,その傾向は今も続いている。戦後アメリカで活動した画家には岡田謙三(1902-82),猪熊弦一郎(1902-93),川端実(1911-2001),新妻実(1930-98),篠原有司男(うしお)(1932- ),河原温(かわらおん)(1933- ),荒川修作(1936-2010)らがいる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アメリカ美術」の意味・わかりやすい解説

アメリカ美術
アメリカびじゅつ

アメリカの美術は大別して,先住民であるアメリカインディアンの美術と,17世紀以後この地に入植し,今日の文化を築いた多様な人種から成るアメリカ人の美術とに分けられる。アメリカインディアンは主として北西部に住み,原始的な異質の美術を生んだ。後者のアメリカ人は,いわゆる植民地時代には,伝統的なイギリスやオランダの流れをくんだ肖像画を描き,18世紀にいたってイギリスやフランスのアカデミックな様式を受継ぎ,写実的な肖像画や風景画を描いた。 19世紀後半に入ってアメリカ美術はようやく近代化への胎動を示し,ホイッスラーやカサットなどの印象派の画家を生んだ。 1913年のアーモリー・ショー以後,モダニズム運動の開花を見,以来,アメリカ絵画は急速に現代美術へ進展する。第1,第2次世界大戦中ヨーロッパから亡命してきた著名な美術家たちはこの地に定住し,デザインを含む広範な分野において,機械文明のなかで新たな造形の世界を切り開いた。アクション・ペインティングポップ・アートオプティカル・アートなどは,アメリカ文明の風土が生み出した美術である。第2次世界大戦後のこうした動向は,世界的にアメリカ美術への関心を高め,美術の中心はパリからニューヨークに移ったともいわれる。

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