アメリカ美術(読み)あめりかびじゅつ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アメリカ美術」の意味・わかりやすい解説

アメリカ美術
あめりかびじゅつ

アメリカ美術は、多人種によるデモクラシー社会と広大な大自然という二つの条件の複合によって形成された美術である。アメリカ美術の歴史が始まってから2世紀半にも満たないが、もともと継承すべき伝統、破壊すべき伝統をもたないアメリカ美術がたどってきた道程には、ヨーロッパ美術にはみられない特異性がある。

[桑原住雄・黒沢眞里子]

絵画

肖像画

アメリカ美術の冒頭を飾るのは18世紀初頭の肖像画である。東部沿岸の植民地で描かれた稚拙でプリミティブな肖像画には、当時の民衆の素朴で真摯(しんし)な世界観が反映しているが、それにヨーロッパから流入したロココ様式、新古典様式が結び付いて、B・ウェスト、J・S・コプリーなどが登場する。二人はロンドンに渡って宮廷画家となり、新古典主義に続くロマン主義絵画の分野でも活動した。ウェストのもとで修業したC・W・ピール、J・トランブルJohn Trumbull(1756―1843)、G・スチュアートなどは1776年の独立宣言に続く独立戦争の英雄像や歴史画を描き、独立期の叙事詩をうたった。なかでもスチュアートのワシントン像は初代大統領の肖像画の決定版として現在も使われている。しかし肖像画は、19世紀前半にもたらされた写真によって衰退し、かわって風景画、風俗画が登場する。

[桑原住雄・黒沢眞里子]

風景画

1830年代は、第7代大統領A・ジャクソンによって推進された西部開拓とナショナリズムの自覚によって、アメリカ・ルネサンスとよばれる時代の幕が切って落とされた。文芸、美術はかつてない盛況を呈し、アメリカにおける初めての流派としての風景画派が誕生した。ハドソン・リバー派がそれで、T・コール、A・B・デュランドAsher Brown Durand(1796―1886)、F・チャーチ、A・ビアスタットAlbert Bierstadt(1830―1902)などはハドソン渓谷流域を中心として西部へと視野を拡大し、壮大な景観を描いた。彼らの活動は西部開拓の波に歩調をあわせたものであり、大自然を劇的構成で克明に描写した。これはフランスにおけるバルビゾン派の活動と並行する一種のロマン主義絵画であったことに注目しておきたい。ハドソン・リバー派とは離れて静寂な風景画を描いたF・H・レーンFitz Hugh Lane(Fitz Henry Laneともよばれる。1804―1865)、M・J・ヒードMartin Johnson Heade(1819―1904)などリュミニスト(映光派)の活動も見逃すことはできない。風俗画の台頭には当時の庶民の自覚と役割の増大がその背景にあり、健康で楽天的な西部の人々の日常生活を生き生きととらえた風俗画が一般に喜ばれることになった。E・ジョンソン、W・S・マウントWilliam Sidney Mount(1807―1868)、G・C・ビンガムGeorge Caleb Bingham(1811―1879)などの作品は、善良なオプティミズムとユーモアにあふれる外向性に裏づけされたものである。

[桑原住雄・黒沢眞里子]

自然主義絵画

南北戦争(1861~1865)後に現れたアメリカン・リアリズムとよばれる自然主義絵画は、W・ホーマーとT・エイキンズによって代表され、彼らの人物画と風景画は戦争前のそれを乗り越える新しい視座をもっていた。ホーマーはアメリカ最大の自然詩人といわれているように、深い自然観照と明快な客観描写を貫き、エイキンズは徹底したリアリズムで世紀末の知的中流階級の状況をとらえた。この二人と並行した幻想画家A・ライダーはアメリカン・ロマンチシズムの典型として高く評価されている。またこの時代は、急速に増大する富の蓄積とヨーロッパ美術への関心から、ヨーロッパに赴いて活動する画家も増え、J・M・ホイッスラー、M・カサット、J・S・サージェントなどがフランス印象派(印象主義)とかかわりながら優れた業績をあげる一方、フランス印象派を学んでアメリカに伝えたT・ロビンソンTheodore Robinson(1852―1896)、J・H・トワックマンJohn Henry Twachtman(1853―1902)、A・ウェアAlden Weir(1852―1919)などがいた。富豪による美術コレクションが始まり美術館が各地に誕生したのもこの時代で、メトロポリタン美術館、ボストン美術館、シカゴ美術館などが1870年代に開設されている。

[桑原住雄・黒沢眞里子]

前衛美術と写実主義

20世紀の開幕を告げるのはニューヨークに現れた二つの革新運動である。一つは写真家A・スティーグリッツが1905年に開いた291ギャラリーにおける前衛美術の展開であり、もう一つはR・ヘンライを中心として1908年から展開されたジ・エイトの写実主義運動であった。前者はパリにおけるモダニズムの潮流をアメリカに連動させる機能を果たし、フォービスムキュビスムなどを紹介するかたわらアメリカの若い画家J・マリン、C・デミュスCharles Demuth(1883―1935)、G・オキーフ、M・ウェーバーMax Weber(1881―1961)などを育てた。後者はアカデミズムへの意図的な反対提案として都市の日常生活を暗いリアリズムでとらえ、主題と観点の革新になった。これにはJ・スローンJohn Sloan(1871―1951)、W・グラッケンズWilliam James Glackens(1870―1938)、G・ラクスGeorge Luks(1867―1933)などが参加している。しかし1913年に開催されたアーモリー・ショーは大きな衝撃を与えると同時に、アメリカ美術を当時の国際美術の潮流に巻き込むことになった。とくにキュビスムはその後のアメリカ美術に一つの方向を与えたとみられ、M・ハートレーMarsden Hartley(1877―1943)、マン・レイの総合的キュビスムから、C・シーラー、M・シャンバーグMorton Schamberg(1881―1918)などの折衷様式が生まれる契機となった。

 1920年代から1930年代にかけて写実様式が隆盛をみせ、いわゆるアメリカン・シーン派と社会派が登場する。アメリカン・シーンのなかの一派リージョナリズム(地方主義)は、中西部こそアメリカの原点だとするG・ウッド、T・H・ベントン、J・S・カリーJohn Steuart Curry(1897―1946)によって代表されるが、これは愛国主義と反モダニズムの結合によって生まれたもので、S・アンダーソン、S・ルイスなどの文学と対応している。未曽有(みぞう)の不況とファシズムの勃興(ぼっこう)による国際情勢の緊張とアメリカ国内の矛盾は社会派の進出を促し、B・シャーン、P・エバグッドPhilip Evergood(1901―1973)、J・レビンJack Levine(1915―2010)などは鋭い社会批判を絵画化した。これらの動向は、ルーズベルト政権が実施したWPA(事業促進局)の連邦美術計画に吸収され、全国的に展開された壁画運動に反映した。連邦美術計画は美術家の救済を意図したものだったが、近代美術が宿命的にもっている反社会性を取り払い、美術家に社会的使命感をもたせると同時に、美術を社会に普及させる効果をもつことになった。

[桑原住雄・黒沢眞里子]

抽象絵画

このような情勢のなかで1930年代末ごろからニューヨークで始められた新しい抽象絵画の模索は、1940年代に入って抽象表現主義の実現をもたらし、1950年代の中ごろまでがその全盛期となった。抽象表現派の登場によってアメリカは初めてアメリカ自身の絵画をもったといわれているように、アメリカ文明の基本的な情念であるロマンチシズムを核とする新しい絵画様式がここで完成されたとされている。第二次世界大戦を避けて渡米したエルンストモンドリアン、マッソンなどの影響とユングの深層心理学が抽象表現派の前景にあったとみられ、J・ポロック、W・デ・クーニング、F・クラインなど動きの激しいタッチによるアクション・ペインティング系と、M・ロスコ、B・ニューマン、A・ラインハートなど平面的な色面によるカラー・フィールド・ペインティング系があり、それに中間的な様式をもつ流れが加わって三つの系列が展開した。彼らはいずれも広大な画面を舞台として自在な情念表現を敢行したが、1950年代末から1960年代初めにかけて衰退し、かわってポップ・アートとポスト・ペインタリー・アブストラクションといわれる新しい抽象が誕生した。前者は第一次世界大戦中渡米したデュシャン、ピカビアなどのダダイズムと抽象表現主義を新しい次元で結合したもので、R・ラウシェンバーグ、J・ジョーンズ、C・オルデンバーグ、J・ローゼンクイスト、R・リクテンスタイン、A・ウォーホル、T・ウェッセルマンTom Wesselmann(1931―2004)などが活動した。後者は抽象表現派の色面抽象系を受けて新しく展開したもので、E・ケリー、J・ヤンガーマンJack Youngerman(1926―2020)、H・フランケンサーラー、M・ルイス、K・ノーランド、F・ステラ、S・フランシスなどが明快で非情な色面抽象を純化した。

[桑原住雄・黒沢眞里子]

概念の多極化

1960年代後半から美術概念が多極化するとともに、多様な実験がめまぐるしく現れては消えたが、それ以後の美術は、物質と人間とのかかわりの根源にまでさかのぼって美術をとらえ直そうとするコンセプチュアル・アートの影響を軸として、展開したとみられる。

 1970年代に入ると、ポップ・アートによる大量生産された機械的なイメージから離れ、個人的で詩的なテーマが現れ、また筆やイーゼルを使ったハンド・ペインティングなどの伝統的な技術や素材に回帰する傾向が現れた。アメリカは1970年代に建国200年を迎えたこともあり、アメリカ独自の文化を見つめ直す風潮が、抽象表現主義によって押さえられていたアメリカ的テーマの探究をふたたび浮上させた。R・エステス、C・クローズChuck Close(1940―2021)などのアメリカの日常の光景を写真のような映像に還元したスーパーリアリズムは、ポップ・アートのようにだれにでも理解できる芸術として、より多くのアメリカ人に受け入れられた。

 1980年代は、J・シュナーベル、D・サーレ、J・ボロフスキーJonathan Borofsky(1942― )など、より具象的イメージに回帰した新表現主義あるいはニュー・ペインティングとよばれる画家たちの活躍がみられた。1980年代以降はとくにはっきりとした動向があるわけではなく、暴力、死、性や人種、ジェンダーなどの社会問題を扱ったものなど、多様な価値観を受容するアメリカ社会を反映して美術の現状も多様な様相を呈している。

 この多様性は芸術活動拠点の多極化にも現れ、1970年代以降ニューヨーク以外の地方を中心とした芸術活動が盛んとなる。これは1960年代に連邦政府の芸術助成機関、全米芸術基金(NEA)が設立され、地方を拠点としたアメリカの土着的、多元主義的な芸術活動が促進されたことが大きい。ロサンゼルス、サンフランシスコ、シカゴ、ワシントンDC、ボストンなど強力な芸術活動拠点が生まれ、主流派とはかならずしも一致しないテーマ、スタイルが生み出されている。

[桑原住雄・黒沢眞里子]

彫刻

彫刻の展開は絵画より遅れ、19世紀中ごろの新古典主義彫刻から始まる。H・グリーノーHoratio Greenough(1805―1852)、H・パワーズHiram Powers(1805―1873)などの優美な新古典的作品は一般に歓迎されたが、形式に縛られた限界をもっていた。19世紀後期に入るとA・セント・ゴーデンスAugustus Saint-Gaudens(1848―1907)、D・C・フレンチDaniel Chester French(1850―1931)などの自然主義彫刻が登場して肖像彫刻とモニュメントの領域で活動したが、前者は都市における記念碑を多く手がけ、後者は1893年の世界コロンビア博覧会(シカゴ)を頂点として活動した。ヨーロッパ・モダニズムに対応する彫刻が現れるのは20世紀に入ってまもなくで、E・ネイデルマンElie Nadelman(1882―1946)、G・ラシェーズ、P・マンシップPaul Manship(1885―1966)、W・ゾラーチ(ゾラック)William Zorach(1887―1966)などは端麗な造形による具象彫刻を残した。それに続くN・ガボ、T・スミス、A・コルダーによる抽象彫刻はキュビスムとシュルレアリスムを消化したもので、L・ニーベルスン、イサム・ノグチなどがそれを受け継いでいる。彼らと並行して展開したマン・レイなどのダダイズム彫刻の流れも見逃せないであろう。1950年代から現れるアッサンブラージュの領域ではJ・コーネル、E・キーンホルツEdward Kienholz(1927―1994)、ラウシェンバーグがおり、抽象表現主義絵画に対応するM・ディ・スベロ、ポップ・アート系のオルデンバーグ、マリソルMarisol Escobar(1930―2016)、G・シーガルなどと並ぶプライマリー・スカラプチュアにはK・スネルソンKenneth Snelson(1927―2016)、T・スミスなどがいる。またクリスト、R・スミッソンなどのランド・アートは、大自然の一部を実験の場として巨大な空間と取り組んだ。D・ハンソン、C・アンドレなどの人物像はスーパーリアリズムと呼応する試みである。

 なお絵画でも彫刻でもない領域のものとして蛍光、レーザー、ホログラフィーをはじめとする光による純粋視覚の実験も盛んに行われている。

[桑原住雄・黒沢眞里子]

『B・ローズ著、桑原住雄訳『二十世紀アメリカ美術』(1970・美術出版社)』『A・A・デイビッドソン著、桑原住雄・桑原未知世訳『アメリカ美術の歴史』(1976・パルコ出版局)』『桑原住雄著『アメリカ絵画の系譜』(1977・美術出版社)』『近藤竜男著『ニューヨーク現代美術 1960~1988』(1988・新潮社)』『藤枝晃雄著『アメリカの芸術――現代性を表現する』(1992・弘文堂)』『木島俊介著『アメリカ現代美術の25人』(1995・集英社)』『エミール・ディ・アントニオ、ミッチ・タックマン著、林道郎訳『現代美術は語る――ニューヨーク・1940―1970』(1997・青土社)』『ドリー・アシュトン著、南条彰宏訳『ニューヨーク・スクール――ある文化的決済の書』(1997・朝日出版社)』『瀬木慎一監修、山本容子著『現代美術とアメリカ――ニューヨークでながめる美の現在』(1998・ベネッセコーポレーション)』『津神久三著『画家たちのアメリカ』(2000・新潮社)』『ジェーン・ヴーヒーズ・ジマーリ美術館編『ホイッスラーからウォーホルまで――版画に見るアメリカ美術の100年』(2000・ゆまに書房)』『B・ノヴァック著、黒沢眞里子訳『自然と文化――アメリカの風景と絵画1825-1875』(2000・玉川大学出版部)』『金悠美著『美学と現代美術の距離――アメリカにおけるその乖離と接近をめぐって』(2004・東信堂)』『津神久三著『青年期のアメリカ絵画――伝統の中の六人』(中公新書)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アメリカ美術」の意味・わかりやすい解説

アメリカ美術
アメリカびじゅつ

アメリカの美術は大別して,先住民であるアメリカインディアンの美術と,17世紀以後この地に入植し,今日の文化を築いた多様な人種から成るアメリカ人の美術とに分けられる。アメリカインディアンは主として北西部に住み,原始的な異質の美術を生んだ。後者のアメリカ人は,いわゆる植民地時代には,伝統的なイギリスやオランダの流れをくんだ肖像画を描き,18世紀にいたってイギリスやフランスのアカデミックな様式を受継ぎ,写実的な肖像画や風景画を描いた。 19世紀後半に入ってアメリカ美術はようやく近代化への胎動を示し,ホイッスラーやカサットなどの印象派の画家を生んだ。 1913年のアーモリー・ショー以後,モダニズム運動の開花を見,以来,アメリカ絵画は急速に現代美術へ進展する。第1,第2次世界大戦中ヨーロッパから亡命してきた著名な美術家たちはこの地に定住し,デザインを含む広範な分野において,機械文明のなかで新たな造形の世界を切り開いた。アクション・ペインティングポップ・アートオプティカル・アートなどは,アメリカ文明の風土が生み出した美術である。第2次世界大戦後のこうした動向は,世界的にアメリカ美術への関心を高め,美術の中心はパリからニューヨークに移ったともいわれる。

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