山名義理(読み)やまな・よしただ

朝日日本歴史人物事典 「山名義理」の解説

山名義理

没年:没年不詳(没年不詳)
生年建武4/延元2(1337)
南北朝時代武将。時氏の次男。弾正少弼,修理大夫。応安3/建徳1(1370)年6月,室町幕府の内談に出仕。これより先,父時氏が幕府に帰参した翌年貞治3/正平19(1364)年には美作守護に任ぜられている。永和4/天授4(1378)年末,南朝橋本正督の蜂起に際して弟氏清と共に追討大将を命ぜられ,次いで紀伊守護に任ぜられた。明徳の乱(1391)への与同には消極的で温厚な性格から一族統率を期待されたが,内野には参陣せず,翌年3月大内義弘に降伏して紀伊由良で出家した。その後の動静は不詳。

(今谷明)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山名義理」の解説

山名義理 やまな-よしただ

1337-? 南北朝時代の武将。
建武(けんむ)4=延元2年生まれ。山名時氏の次男。美作(みまさか),紀伊(きい)の守護となる。明徳の乱では山名氏清方につくが,京都での合戦にはまにあわず,明徳3=元中9年大内義弘(よしひろ)に攻められて紀伊興国寺(和歌山県)で出家した。法名は宗弘。名は「よしまさ」ともよむ。

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