山寺堰
やまでらぜき
奥羽山脈中の面白山(一二六四・四メートル)の南西面に発する千手院川は、南面白山および小東岳(一一三〇・二メートル)に発する所部川を合せて紅葉川となる。また二口峠から瀬ノ原山北面の小渓流を集めた立石川(馬形川)は山形市山寺に至って紅葉川と合して立谷川となる。立谷川は山形市地蔵堂辺りを扇頂として、半径約八キロの半円状に発達した扇状地を形成する。その扇央部を西に流下して須川に合流し、寺津の西部で最上川に注ぐ。その立谷川を山寺の宮崎地内で堰止めて揚水したのが山寺堰である。山寺堰は地蔵堂下の二ッ筒で等分に分水し、真っすぐ西に流下して高擶に至る堰を高擶堰とよび、江戸時代には南北の高擶村が堰元となって管理した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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