日本歴史地名大系 「山戸村」の解説 山戸村やまとむら 兵庫県:姫路市旧揖保郡地区山戸村[現在地名]姫路市勝原区山戸(かつはらくやまと)・勝原区勝原町(かつはらくかつはらちよう)・大津区大津町(おおつくおおつちよう)一丁目宮田(みやた)村の東に位置し、北は奥谷(おくたに)山の尾根を境に丁(よろ)村。揖東(いつとう)郡に属する。天正一五年(一五八七)九月二四日の豊臣秀吉知行方目録(木下家文書)に山戸村とみえ、当村の一七六石余などが木下家定に宛行われている。慶長国絵図には「やまと村」と記される。江戸時代の領主の変遷は熊見(くまみ)村と同じ。寛永一三年(一六三六)の龍野領村々高辻帳(八瀬家文書)では池田輝政による内検地高四四四石余、高三六七石余。正保郷帳では田方三一八石余・畑方四九石余、「砂入川成共ニ」と注記される。天保九年(一八三八)の村明細帳(加藤家文書)によると、延宝七年(一六七九)に龍野藩主脇坂氏により検地が行われ、田方は高三五九石余・反別二二町余、畑方は高四九石余・反別五町七反余、家数九九・人数四〇二。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by