日本歴史地名大系 「宮田村」の解説
宮田村
みやたむら
現宮田町の南端部、
宮田村
みやだむら
利根川が西に大きく湾曲、そこに突き出した段丘上の村で、
「寛文朱印留」に村名がみえ、前橋藩領。寛文郷帳によれば田方四五二石余・畑方九五石余。寛文一一年(一六七一)の年貢割付状(角田文書)によると田一九町四反余・畑三八町二反余、年貢高は米一七二石四斗余と永九一貫六〇〇文余。明和六年(一七六九)の村議定(宮田区有文書)によると、名主の選出は五組回り持ちとし、相応の田畑をもつ者を選ぶこと。
宮田村
みやだむら
北は
「延喜式」によれば宮田は
宮田村
みやだむら
- 大阪府:高槻市
- 宮田村
慶長一〇年(一六〇五)摂津国絵図には「宮田村」とみえ高四九八石余。
宮田村
みやたむら
- 茨城県:日立市
- 宮田村
東は海に臨み、西は神峰山(五九八メートル)と高鈴山(六二三・六メートル)を結ぶ稜線の東に広がる多賀山地丘陵で、東縁辺を
宮田村
みやだむら
旧西紀町域の南西部中ほどに位置し、宮田川が南流する。北の
宮田村
みやだむら
宮田村
みやたむら
宮田村
みやでんむら
宮田村
みやだむら
宮田村
みやだむら
宮田村
みやたむら
宮田村
みやたむら
享保一四年(一七二九)の雄勝郡御黒印吟味覚書(秋田県庁蔵)に元禄郷帳に宮田新田村と記すとある。
宮田村
みやたむら
- 栃木県:栃木市
- 宮田村
宮田村
みやだむら
宮田村
みやだむら
- 島根県:益田市
- 宮田村
海浜地帯で東の戸田村より起伏のある丘が長く続き、浜辺には防風の松林がある。南は
宮田村
みやだむら
宮田村
みやたむら
- 青森県:青森市
- 宮田村
宮田村
みやだむら
宮田村
みやだむら
宮田村
みやだむら
宮田村
みやだむら
宮田村
みやだむら
宮田村
みやたむら
宮田村
みやだむら
宮田村
みやたむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報