山本菊子(読み)ヤマモト キクコ

20世紀日本人名事典 「山本菊子」の解説

山本 菊子
ヤマモト キクコ

明治大正期の馬賊(満州) からゆきから馬賊の頭目に。



生年
明治17(1884)年

没年
大正12(1923)年

出生地
熊本県(長崎県)

別名
通称=満州お菊(マンシュウオキク)

経歴
日清戦争前の7歳のころ、九州から朝鮮京城の料理屋へ売りとばされたあと、高官のめかけになったり、北部満州(現中国の東北部)やシベリアの料理屋を渡り歩いたりし、大正の半ばすぎにはシベリア出兵の日本兵の慰安婦もしていた。その後、満州の間島付近をナワ張りにしていた馬賊の大頭目の孫花亭が日本軍警備隊に殺されるところを助けたのが縁で、馬賊の頭目にまつり上げられる。明治後期から大正にかけて中国大陸に軍閥が割拠していたころのこと。全くの無学だったが、馬賊同士のナワ張り争いの仲裁をし、やがて“満州お菊”として全満州の馬賊間にその名をはせるようになった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山本菊子」の解説

山本菊子 やまもと-きくこ

1884-1923 明治-大正時代女性
明治17年生まれ。7歳で朝鮮にうられ,大陸各地を転々とし,アムール河畔のブラゴベシチェンスク(ロシア領)の酒場にながれつく。処刑寸前の馬賊をすくった縁でその仲間となる。頭目にのしあがり,満州お菊の名でよばれた。大正12年4月死去。40歳。熊本県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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