改訂新版 世界大百科事典 「山村工作隊」の意味・わかりやすい解説
山村工作隊 (さんそんこうさくたい)
1952年半ばに日本共産党が山村地帯に〈遊撃隊〉をつくる目的でおこなった組織活動。日本共産党では1951年2月,コミンフォルム,中国共産党が50年1月におこなった同党批判を承服した〈所感派〉が第4回全国協議会を開き,〈当面の基本的闘争方針〉を採択した。これは,講和発効後も日本がアメリカの〈全一的支配(植民地的支配)〉下にあるとし,中国の武装闘争路線をまねた軍事方針が必要だとするもので,10月の5全協で確認し,講和発効後の52年5~7月実行に移した。大経営の労働者の組織体〈中核自衛隊〉に呼応する山村の〈遊撃隊〉をつくり,やがて〈人民解放軍〉に発展させるというもので,東京都小河内(おごうち)村をはじめ各地の辺境におもに学生党員を派遣して,そこを解放し,拠点とすべく工作に当たらせた。
しかし地域住民との結合に失敗し成果はなく,共産党は火炎びん事件と相まって国民の支持を失い,10月の総選挙で完敗した。55年7月の六全協でこれを誤りと認めた。
執筆者:佐々木 隆爾
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報