20世紀日本人名事典 「山田きみ」の解説
山田 きみ
ヤマダ キミ
明治〜昭和期の教育者 山田学園理事長。
- 生年
- 明治21(1888)年4月26日
- 没年
- 昭和36(1961)年2月23日
- 出生地
- 青森県青森市
- 学歴〔年〕
- 東京共立女子職業学校本科〔明治41年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 紫綬褒章
- 経歴
- 早くから箏曲や挿花を嗜む。明治38年に上京し、東京共立女子職業学校本科で裁縫・刺繡・割烹を学んだ。41年に同校を卒業ののち青森高等女学校の教師となり家庭科を教えた。大正1年結婚退職。7年女子の自立に必要な家庭科の教育を志し、青森市に青森裁縫塾を開く。その傍ら、協成女学校や青森盲啞学校嘱託を兼務し、琴や挿花を講じた。この間にも徐々に同塾の実績を上げ、昭和6年各種学校令の施行により青森家政学園に改めた。次いで8年には文部省令により山田高等家政女学校に改称し、新校舎を建造。20年戦災に遭ったため校舎を移転して再起を図り、22年学校を財団法人化。23年学制改革で新制高校に昇格して山田高等学校となり、26年には男女共学を開始した。さらに26年学校法人法の施行によって学校法人山田学園に改組し、理事長に就任。また保育園や幼稚園・中学校・理容学校なども併設し、学園発展の基礎を固めた。教育活動の一方で婦人運動にも加わり、女性の地位向上のために力を尽くした。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報