男女が同一の学校・同一の学級で、原則として同一の教育課程に基づいて学習すること。単に共学ともいう。憲法の掲げる個人の尊厳と両性の本質的平等の精神(第13条、第14条、第24条、第26条)を受けて、1947年(昭和22)に制定された教育基本法(いわゆる旧法、昭和22年法律第25号)は性別による教育機会の差別を禁じ(第3条)、さらに男女の共学を奨励した。すなわち、「男女は、互に敬重し、協力し合わなければならないものであって、教育上男女の共学は、認められなければならない」(第5条)。ここに、男女共学の理念が明確に示されている。この規定は、2006年(平成18)に全面改正された教育基本法(平成18年法律第120号)により改められたが、改正された教育基本法は個人の尊重等の普遍的な理念を継承しており、男女平等についての基本的な考えは変わっていない。
[津布楽喜代治]
主要諸国においても全般的に共学制がとられ、とくに男女の平等と相互協力を必要としたアメリカでは早くから行われ、ロシアでもあらゆる教育段階で共学制をとっている。ただ、宗教思想を背景として、カトリックやイスラム教の盛んな国では、フランスをはじめとして別学の方針が伝統的にとられてきた。しかし、初等教育段階では多くの国が共学の方針をとっている。
日本では、強い儒教主義道徳のもとに、明治以降別学の方針がとられてきた。すなわち、1891年(明治24)の文部省令第12号「学級編制等ニ関スル規則」で、同学年の女子の数が1学級を組織するに足るときは男女別学級をとることにした。ただし、小学校の1、2年は例外として共学級をとってきた。
中等学校においては、男女別学がさらに徹底して、いわば男女の隔離主義がとられ、両者の交流の機会はほとんどみられなかった。なお、旧制の高等学校は男子の独占するところであり、したがって帝国大学への女子の入学はほとんど認められないなど、性別による教育機会の差別がはっきりと存在していた。第二次世界大戦後、「女子教育刷新要綱」(1945年12月4日閣議諒解)によって、「男女間ニ於(お)ケル教育ノ機会均等及教育内容ノ平準化竝(ならび)ニ男女ノ相互尊重ノ風ヲ促進スルコト」が定められ、「アメリカ教育使節団報告書」(1946)において共学の方針が提示された。こうしたことを背景に、前掲の教育基本法(旧法)の規定をみ、あらゆる教育段階で共学を推進するに至ったのである。
[津布楽喜代治]
しかし、実際には多くの問題が残され、その解決への取り組みが進められた。たとえば、中学校、高等学校における家庭科の履修が男女で異なった形態がとられていたが、1979年(昭和54)の女子差別撤廃条約の採択を契機として検討が進められ、1989年(平成1)の学習指導要領において男女共修が実現した。また、高校段階では、県によっては別学制がとられてきたが、近年、高校再編や中高一貫校設立等の改革のなかで共学化が進められている。前述の教育基本法(旧法第5条)にも示されているように、男女共学は男女の本質的平等と同権の思想に基づき、男女各人の個性に即して人間としての発達を図ろうとするものである。改正された新しい教育基本法は、こうした共学の理念は定着し歴史的意義を果たし終えたという考えに立って旧法第5条(男女共学)を削除し、第2条(教育目標)のなかに新たに「男女の平等」と「自他の敬愛と協力」を重んじ、「主体的に社会の形成に参画」する態度を養うことを規定した。そして今日、女性管理職の増加、男女雇用の均等化、ジェンダー(生物学的性差に対する社会的性差)の視点の重視など、男女共同参画社会の実現を目ざす活動が進められている。
[津布楽喜代治]
『深谷昌志著『良妻賢母主義の教育』(1998・黎明書房)』▽『広岡守穂編集『男女共同参画社会と学校教育』(2002・教育開発研究所)』▽『直井道子・村松泰子編『学校教育の中のジェンダー――子どもと教師の調査から』(2009・日本評論社)』
たんに共学coeducationともいう。男女が同一の学校・学級で,同一の教材・教育方法により学習する制度とそれを支える教育原則。その実現は女性の人権,社会的地位の向上を求める女性解放運動の進展と結びついている。アメリカでは開拓期の男女同等の労働の経験もあり,19世紀中葉から同権思想に立って共学が進んだ。大学の共学は1833年創立のオベリン大学が最初で,以後急速に進み,公立中等学校では1920年に99%が共学を実現していた。ヨーロッパでは名門校が女子入学に扉を閉ざし,オックスフォード大学やケンブリッジ大学は19世紀後半,女子の学位試験を拒否しており,共学は20世紀に入ってからである。近世日本では〈男女7歳にして席を同じうせず〉という日本的儒教主義により別学が行われ,石田梅岩らの石門心学では女子の聴講も認めたが,教場では男女別席で,間は仕切られていた。1872年(明治5),〈学制〉発布当初は婦女子の教育も奨励されたが,79年の教育令では,小学校を除き〈男女教場ヲ同クスルコトヲ得ス〉とされ,以後,小学校でも男女別の学級編成方式がとられた。中等学校以上では音楽学校だけが特例で共学を認められ,1910年代には東北帝大で総長沢柳政太郎の英断により女子に門戸が開かれ,関東大震災のころまでいくつかの私立大学では女子入学を認めた。本格的な男女共学は第2次大戦後の教育改革をまたなければならなかった。教育基本法にはその原則が明記されており(5条),これは日本国憲法にいう法の下の平等(14条),両性の本質的平等(24条)に由来する。これにより女子の高校,大学への進学者は急増した。75年の国際婦人年につづき,79年には国連総会で〈女子差別撤廃条約〉が採択され,男女同一の教育が求められた。86年には,男女雇用機会均等法が成立したが,教育の分野における差別の撒廃も明記している。従来男女別編成であった中学技術・家庭科,女子のみの必修であった高校家庭科が問題とされていたが,同年中学・高校家庭科を男女共修とする方針が確立し,実現を見た。
→家庭科教育
執筆者:鈴木 英一
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