学校教育法(昭和22年法律第26号)に基づく学校であり、また子ども・子育て支援法(平成24年法律第65号)に基づく教育・保育施設。幼稚園における教育課程とその他の保育内容については、学校教育法施行規則と幼稚園教育要領に定められている
[宮田まり子・秋田喜代美 2018年4月18日]
学校教育法第1条に、「この法律で、学校とは、幼稚園、小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校とする」とあり、幼稚園には学校としての役割がある。対象は、満3歳から小学校就学の始期に達するまでの幼児である(学校教育法第26条)。入園を希望する保護者が申請し、幼稚園設置者と直接契約を結ぶ。幼稚園の目的は、学校教育法第22条にある「幼稚園は、義務教育及びその後の教育の基礎を培うものとして、幼児を保育し、幼児の健やかな成長のために適当な環境を与えて、その心身の発達を助長すること」である。続く同法第23条において、健康、人間関係、環境、ことば、表現に関する目標が掲げられている。そして同法第24条には「家庭及び地域における幼児期の教育の支援に努めるものとする」とある。これら学校教育法において定められた目標の実現のために、より具体的に目的や保育内容が書かれたものとして「幼稚園教育要領」が、幼稚園設置にあたり、園の運営や設備に関して必要最低の基準を示した「幼稚園設置基準」などがある。
[宮田まり子・秋田喜代美 2018年4月18日]
幼稚園の設置廃止等は、公立は都道府県教育委員会、私立は都道府県知事の許可を得なければならない(学校教育法第4条、第4条の2)。幼稚園の施設設備については、学校教育法施行規則第36条に「幼稚園の設備、編制その他設置に関する事項は、この章に定めるもののほか、幼稚園設置基準(昭和三十一年文部省令第三十二号)の定めるところによる」とあり、幼稚園設置基準には、一学級の幼児数(35人以下を原則とする)や学級の編制、教職員、施設設備に関する基準が定められている。学校教育法施行規則第37条には「幼稚園の毎学年の教育週数は、特別の事情のある場合を除き、三十九週を下つてはならない」とあり、省令においてその運営を定めている。幼稚園教育要領において、一日の教育時間は標準を4時間としている。職員は、学校教育法第27条において、園長、教頭、教諭が必置とされており、幼稚園設置基準第5条において、学級ごとに1名の教員を配置することになっている。
[宮田まり子・秋田喜代美 2018年4月18日]
幼稚園教諭の法的根拠は、学校教育法、教育職員免許法、教育公務員特例法にある。学校教育法第27条9項には、「教諭は、幼児の保育をつかさどる」と定義されている。幼稚園教諭は、短期大学や大学の養成課程において養成される。各養成課程において付与される免許状は異なっており、専修、一種、二種がある。専修免許状は修士の学位、一種は学士の学位、二種は短期大学士の称号を取得し、それぞれの免許状に定められた所定の科目を修得した者に与えられる。
[宮田まり子・秋田喜代美 2018年4月18日]
世界で最初の幼稚園は、1840年にフリードリッヒ・フレーベルがドイツのバートブランケンブルクで開設したKindergarten(キンダーガルテン)であるとされている。日本では、制度的には1872年(明治5)公布の「学制」のなかに、幼児教育機関としての「幼稚小学」の規定があるが開設には至っていない。日本で最初の幼稚園は、1876年にできた東京女子師範学校(現、お茶の水女子大学)附属幼稚園とされている。この幼稚園は、保育の運営、内容などを欧米の幼稚園に倣う形で開設された。その後、日本の幼稚園教育の実践者や研究者らによって附属幼稚園の取り組みが検討された結果、日本独自の保育内容や方法等が幼稚園教育要領によって示された。これがその後開設された幼稚園の運営の指針となっている。
また2006年(平成18)改正の教育基本法には第11条に「幼児期の教育」が新設された。2007年改正の学校教育法においては、学校種の規定順が変更され、それまでは最後に置かれていた幼稚園が、現行第1条にあるように小学校の前に位置づけられるものとなった。そしてその後の2008年改訂幼稚園教育要領では、就学後の教育の基礎を培う教育としての目標や小学校との連携や接続を意識した内容が示されている。平成30年度幼稚園教育要領では、〔1〕知識及び技能の基礎、〔2〕思考力、判断力、表現力等の基礎、〔3〕学びに向かう力、人間性等を育む三つの視点からの幼児期における具体的課題と、「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」として10の姿、(1)健康な心と体、(2)自立心、(3)協同性、(4)道徳性・規範意識の芽生え、(5)社会生活との関わり、(6)思考力の芽生え、(7)自然との関わり・生命尊重、(8)数量や図形、標識や文字などへの関心・感覚、(9)言葉による伝え合い、(10)豊かな感性と表現、を幼稚園修了時の具体的な姿として示している。これら10の姿は就学までの到達目標として設定されるのではなく、続く小学校課程での教科教育につなげられるものであるとされている。
[宮田まり子・秋田喜代美 2018年4月18日]
幼稚園教育における課題と展望として以下三つをあげる。
(1)満3歳児保育と預かり保育
満3歳児保育は、3歳の誕生日がくると同時に幼稚園に入園して保育を受けることである。これは学校教育法第26条に規定されている制度的実践である。さらに、2006年改正の学校教育法第24条における「家庭及び地域における幼児期の支援に努めるもの」という規定によって、幼稚園における「子育て支援活動」の一環として2歳児入園も認められている。しかし2015年度の満2歳児入園者は3歳児入園者の1割に満たない等、利用は限定的であり、そのための教室と保育者の確保、満3歳児や2歳児への保育に関する知識や技術など、保育者の資質をいかに向上させていくかなどが課題となっている。
預かり保育は、通常の幼稚園教育の後に希望者に向けて実施されている保育のことである。利用者は年々増加している。保育室と保育者の確保と長時間保育を受ける子どもへのケアと教育に対する専門性の向上が課題となっている。
(2)特別な配慮を必要とする幼児への指導
平成30年度幼稚園教育要領に加わった内容である。障害のある幼児や海外から帰国した幼児、日本語の習得に困難のある幼児への対応をいう。
(3)幼稚園教育の質の向上
教育学者の無藤隆(むとうたかし)(1946― )は、幼児教育の質の向上に向けての今後の課題として、(1)幼児期における主体的・対話的学びを形成していくこと、(2)カリキュラムと評価についての改善、(3)幼児教育センターや幼児教育アドバイザーなど外部から指導する仕組みづくりやその定着の三つをあげている。加えてそうした質の向上において必要な保育者の研修のあり方について、(1)制度化、(2)キャリア化、(3)ネットワーク化、をあげている。
[宮田まり子・秋田喜代美 2018年4月18日]
『文部科学省編『初等教育資料』7月号臨時増刊(2017・東洋館出版社)』
学校教育法によれば,〈幼児を保育し,適当な環境を与えて,その心身の発達を助長すること〉(77条)を目的とする小学校就学前教育機関であり,学校体系の一環として位置づけられている。ふつう,1837年F.W.A.フレーベルがドイツのブランケンブルクに開設したものに始まるとされ,その名キンダーガルテンKindergartenは世界各国にひろまった。それは,みずから発育する可能性をもった植物の芽が,すぐれた園丁の指導下に成長する花園の意である。その名のとおり,フレーベルの幼児教育は,〈遊びと作業〉を中心とする幼児の自己活動を重んじるものであった。これより先1816年,イギリスのR.オーエンが労働者の子女を対象として創設した幼児学校infant schoolをその起源とする見方もある。その後,フレーベル正統派に対し,とくにアメリカで自然尊重や自由遊戯重視の考えから幼稚園改革がすすめられた。それを促したのはG.S.ホールの心理学やJ.デューイの教育学であった。
日本では1876年東京女子師範学校(お茶の水女子大学の前身)の付属として,最初の本格的な幼稚園が設置された。そのさい幼児教育の必要についてのフレーベルの提唱に学ぶところが大きく,また彼が考案した恩物Gabeによる保育が中心となった。ついで78年,同校に幼稚園保母練習科がおかれ保母養成が開始された。79年の教育令で正式に幼稚園の名称が使用され,公立・私立とも文部卿の監督下におかれることになった。なお1872年(明治5)の〈学制〉には6歳前の子に〈小学ニ入ル前ノ端緒〉を教える幼稚小学があげられていたが,これは小学校に準ずるもので,この方式では幼児の発達段階にそぐわず弊害が大きいとして84年幼稚園を奨励する文部卿通牒が出された。
はじめ幼稚園の普及に役割を果たしたのは,布教活動の一環として取り組んだ宗教団体であり,キリスト教系の幼稚園としては1880年東京麴町に桜井女学校付属幼稚園,86年金沢に英和幼稚園が設けられ,1906年には保育に従事する宣教師を中心にキリスト教幼稚園教育の組織化を目的として日本幼稚園連盟が結成された。仏教主義の幼稚園は,1892年山口県三田尻村明覚寺の華浦幼稚園,1901年栃木県足利市鑁阿(ばんな)寺の足利幼稚園,同年京都東本願寺の常盤幼稚園などがあり,以後急速に各宗派が園を設置し,28年には各宗派合同で仏教保育協会を組織した。そして一般保育のほかにそれぞれ宗教心による保育を行った。一方,文部省は幼稚園と小学校との混同を批判しながらも幼稚園関係の規定は長い間,小学校令施行規則(1900)にふくめており,26年にいたって〈幼稚園令〉を公布し,〈幼稚園ハ幼児ヲ保育シテ其ノ心身ヲ健全ニ発達セシメ善良ナル性情ヲ涵養シ家庭教育ヲ補フヲ以テ目的トス〉と規定した。ここで幼児というのは満3歳から就学までをさしたが(この年齢規定は現在も引き継がれている),特別の事情ある場合は3歳未満の子も入園できるとした。これは託児所(保育所)の機能をももたせようとしたものだが,実施はされなかった。保育内容は幼稚園令施行規則により遊戯,唱歌,観察,談話,手技などとされた。1937年に幼稚園の総数は2000を超え,園児数は43年の23万5000人が戦前の最高で,同年5歳児の就園率は約8%となっている。
第2次大戦後幼稚園は学校教育法によって位置づけられ,指導を行う者も〈教諭〉として規定された。それにもとづいて1948年に作成された〈保育要領〉では保育内容は,見学,リズム,休息,自由遊び,音楽,お話,絵画,製作,自然観察,ごっこ遊び,劇遊び,人形芝居,健康保育,年中行事とされ,子どもの興味・自発性が尊重された。しかし56年,小学校教育との一貫性をもたせるなどの理由から,全面的に改訂され,名称も〈幼稚園教育要領〉とされ,内容は健康,社会,自然,言語,音楽リズム,絵画製作の6領域に改められた。64年にはこの要領は若干改訂のうえ,学習指導要領同様,文部省告示とされた。編制,施設,設備など環境整備については〈幼稚園設置基準〉(1956)がある。就学前の子どもの発達を保障していくうえで,なお児童福祉法による保育所と二元化されているが,70年代から保育一元化(保育所と幼稚園の統合)が追求されている。96年現在幼稚園の総数は1万4790(国立49,公立6140,私立8601),在園児数179万8051人である。
→幼児教育
執筆者:山住 正己
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…ドイツの教育家,幼稚園の創設者。チューリンゲンの片いなかに牧師の末子として生まれたが,生後9ヵ月で母を失い,寂しい幼年時代を送った。…
…このような施設の起源は必ずしも明らかではないが,ふつう,1779年フランスのアルザス・ロレーヌでプロテスタント牧師オベルランJean Fréderic Oberlin(1740‐1826)が貧困家庭の子の昼間保育を始めたのが最初とされる。1837年フレーベルが幼稚園に保育施設を付設し,44年にはパリでマルボーFirmin Marbeauが女工の子どもの保育施設をつくり,イギリスではR.オーエンがニューラナークに幼児学校(インファント・スクール)を設立して以降,各地に設けられるようになった。日本の場合,江戸後期に佐藤信淵が高2万石に6ヵ所の慈育館を設けるとの構想をたてた(《垂統秘録》)が,実現にはいたらなかった。…
※「幼稚園」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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