新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「山田喜之助」の解説 山田 喜之助ヤマダ キノスケ 肩書衆院議員,東京弁護士会長 生年月日安政6年6月(1859年) 出生地大阪 学歴東京帝大法学部〔明治14年〕卒 経歴代言人を営むかたわら東京専門学校講師をつとめ、また立憲改進党に入る。明治18年英吉利法律学校(現・中央大学)の創立に参画。のち司法権少書記官、19年司法省参事官、東京控訴院・大審院検事、23年大審院判事などを歴任。のち辞任し、東京弁護士会長をつとめた。また衆院議員となり、さらに衆議院書記官長、司法次官に任じた。38年の”日比谷事件”で首領の一人として下獄したこともあった。 没年月日大正2年2月20日 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山田喜之助」の解説 山田喜之助 やまだ-きのすけ 1859-1913 明治時代の官僚,政治家。安政6年6月1日生まれ。英吉利(イギリス)法律学校(現中央大)の創立につくす。司法省にはいり,大審院判事にすすむが,民・商法典論争で辞任。弁護士となり,東京弁護士会長につく。明治31年衆議院議員(当選2回,憲政党)。司法次官をつとめた。大正2年2月20日死去。55歳。大坂出身。東京大学卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by