日本歴史地名大系 「山科新御所跡」の解説
山科新御所跡
やましなしんごしよあと
後白河上皇の院御所の一。その正確な位置は確定できないが、「山城名勝志」には「山科新御所 土人云、御所森在大宅村与大塚村間、又大宅村民神山呼御所山、是謂旧塚也」とあり、また「京都府地誌」も
山科新御所の造営時期は、「兵範記」仁安二年(一一六七)七月二〇日の記事「上皇為御移徙行新造山科殿、但其儀密々」から、この頃と思われる。また「百錬抄」治承三年(一一七九)六月三日条に「上皇山科新御所御移徙、本是雅実僧都領、進故建春門院、依有飛泉、去比被造営、」とあり、僧雅実から建春門院平滋子に寄進された地に、飛泉を利用して院御所を造ったことが知られる。これ以前後白河院は院御所として
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報