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高階栄子 たかしなえいし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

高階栄子
たかしなえいし

[生]?
[没]建保4(1216)
鎌倉時代初期の政治家。丹後局と称する。法印澄雲の娘,平業房の妻。後白河法皇の近臣であった夫の死後,法皇に仕えて寵愛を得た。養和1 (1181) 年法皇の子覲子内親王 (→宣陽門院 ) を産み,院の執権として政界に活躍し,親幕派の九条兼実らに対抗。文治3 (87) 年従三位,建久2 (91) 年従二位。翌年法皇が没したが,宣陽門院に譲られた膨大な荘園「長講堂領」を背景に権勢を保った。宣陽門院司源通親と通じて,同7年兼実を失脚させたが,晩年は,通親も死に,昔日の面影なく,京都東山浄土寺に隠れ住んだ。

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百科事典マイペディアの解説

高階栄子【たかしなえいし】

後白河(ごしらかわ)法皇の寵妃。丹後局(たんごのつぼね)と称された。父は延暦寺の法印澄雲(ちょううん)。はじめ相模守平業房(なりふさ)に嫁したが,1179年に平清盛が後白河を鳥羽殿に幽閉した際,業房は伊豆に流され,途中殺害された。
→関連項目金丸荘高階氏山科

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

高階栄子 たかしなの-えいし

?-1216 平安後期-鎌倉時代,後白河法皇の妃。
治承(じしょう)3年の平清盛のクーデターで夫平業房(なりふさ)が伊豆(いず)に流され死去したのち,幽閉中の後白河法皇の寵愛(ちょうあい)をえる。養和元年覲子(きんし)(宣陽門院)を生み,建久2年従二位にのぼる。法皇没後も権勢をふるい,源通親(みちちか)とむすんで関白九条兼実を失脚させた。建保(けんぽ)4年2月21日死去。通称は丹後局,丹二品,浄土寺二位。

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朝日日本歴史人物事典の解説

高階栄子

没年:建保4(1216)
生年:生年不詳
後白河法皇の寵妃。宣陽門院(覲子内親王)の母。法印澄雲の娘。丹後局,浄土寺二位と称される。初め後白河院の下北面に仕えた平業房の妻となり,業兼,教成および女子3人を生む。治承(1177~81)の初めごろから法皇の寵愛を得て夫業房の出世を後押しし,法皇の命によって子息教成を山科実教の養子とするが,業房は治承3年平清盛のクーデタで捕らえられ殺される。栄子はこのとき鳥羽殿に幽閉された法皇に近侍して寵愛と信頼を深め,以後政治の表舞台に登場して権勢への道を歩む。九条兼実の『玉葉』によれば,「卑賤の者」なれども「法皇の無双の寵女」にしてその寵愛ぶりは楊貴妃に異ならずと称され,政治への口入は「近日の朝務,偏に彼の脣吻にあり」といわれるほどだった。文治3(1187)年従三位,建久2(1191)年従二位に叙せられる。3年法皇の死によって出家するが,法皇の遺領処分に関与,結果として娘の宣陽門院にその多くを伝領させて,「宣陽門院の母,旧院の執権の女房」(『吾妻鏡』)としてその権勢は衰えなかった。6年,源頼朝は娘の大姫の後鳥羽天皇への入内を望んで栄子に取り入る。しかし栄子はそれを利用して,源通親と組んで時の関白九条兼実の追い落としを謀り,7年11月,ついに兼実を失脚させた。時に夫業房が建てた浄土寺で,その供養を盛大に営んだ。

(土谷恵)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

たかしなえいし【高階栄子】

?‐1216(建保4)
後白河法皇の寵妃。父は僧澄雲もしくは僧章尋。母を建春門院平滋子の乳母若狭局(平政子)とする説もある。はじめ法皇の近臣平業房に嫁したが,1179年(治承3)平清盛のクーデタによって業房が伊豆に配流されることになると,まもなく鳥羽殿に幽閉中の法皇に仕えて丹後局と称し,81年(養和1)には法皇の皇女覲子(きんし)を生んだ。やがて京都政界に隠然たる勢力を築き,〈近日の朝務,ひとえに彼の脣吻(しんぷん)にあり〉と評された(《玉葉》)。

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大辞林 第三版の解説

たかしなえいし【高階栄子】

?~1216) 後白河法皇の寵妃ちようき。通称、丹後の局つぼね。法印澄雲の娘。初め平業房の妻。のち後白河法皇に仕え宣陽門院覲子を生む。平氏没落後は親幕派九条兼実を退け、朝廷に隠然たる権力をふるった。

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世界大百科事典内の高階栄子の言及

【北条政子】より

…82年(寿永1)に長男頼家,92年(建久3)に次男実朝を産み,ほかに2人の娘がいる。95年頼朝が東大寺供養に上洛した際,政子は子どもたちとともに同行し,京都で丹後局(高階栄子)らと対面した。丹後局は後白河法皇の寵を受け,法皇の没後も隠然たる勢力をもっていた。…

【山科家】より

…すなわち四条中納言家成の六男権中納言実教(さねのり)(1150‐1227)を祖とする。後白河法皇の寵妃丹後局(高階栄子)の子教成(のりしげ)(1177‐1239)は法皇の信任が厚く,勅旨により四条実教の嗣子となり,丹後局の山科の別業を譲られ,子孫は同所に住んだが,南北朝時代の中ごろ,教行のときから地名にちなんで山科を姓とするようになった。同家は羽林家(うりんけ)の一つで,代々近衛府の少・中将を経て大納言に至るのを例とし,南北朝期から内蔵頭を世襲し,また室町期からは四条家と並んで朝廷の楽所(がくしよ)別当に補せられ,管絃を家職とするようになり,ことに笙に秀でた。…

※「高階栄子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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