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後白河法皇の寵妃。父は僧澄雲もしくは僧章尋。母を建春門院平滋子の乳母若狭局(平政子)とする説もある。はじめ法皇の近臣平業房に嫁したが,1179年(治承3)平清盛のクーデタによって業房が伊豆に配流されることになると,まもなく鳥羽殿に幽閉中の法皇に仕えて丹後局と称し,81年(養和1)には法皇の皇女覲子(きんし)を生んだ。やがて京都政界に隠然たる勢力を築き,〈近日の朝務,ひとえに彼の脣吻(しんぷん)にあり〉と評された(《玉葉》)。〈文治守護・地頭〉問題や源義経の処分等について鎌倉幕府と折衝し,91年(建久2)覲子に宣陽門院の号が下ると,翌年3月従二位に昇った。他方,源頼朝の娘大姫の入内工作に関与,頼朝夫妻の上洛を歓待するなどしつつ,その立場を利用し,96年源通親(みなもとのみちちか)らと謀って政敵九条兼実の勢力を一掃した(建久7年の政変)。六条坊門東洞院に邸を構えたが,晩年は東山の浄土寺に居住したので〈浄土寺の二位〉と称された。
執筆者:杉橋 隆夫
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→丹後局
…82年(寿永1)に長男頼家,92年(建久3)に次男実朝を産み,ほかに2人の娘がいる。95年頼朝が東大寺供養に上洛した際,政子は子どもたちとともに同行し,京都で丹後局(高階栄子)らと対面した。丹後局は後白河法皇の寵を受け,法皇の没後も隠然たる勢力をもっていた。…
…すなわち四条中納言家成の六男権中納言実教(さねのり)(1150‐1227)を祖とする。後白河法皇の寵妃丹後局(高階栄子)の子教成(のりしげ)(1177‐1239)は法皇の信任が厚く,勅旨により四条実教の嗣子となり,丹後局の山科の別業を譲られ,子孫は同所に住んだが,南北朝時代の中ごろ,教行のときから地名にちなんで山科を姓とするようになった。同家は羽林家(うりんけ)の一つで,代々近衛府の少・中将を経て大納言に至るのを例とし,南北朝期から内蔵頭を世襲し,また室町期からは四条家と並んで朝廷の楽所(がくしよ)別当に補せられ,管絃を家職とするようになり,ことに笙に秀でた。…
※「高階栄子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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