20世紀日本人名事典 「山科礼蔵」の解説 山科 礼蔵ヤマシナ レイゾウ 明治・大正期の実業家 衆院議員(憲政本党)。 生年文久4年1月(1864年) 没年昭和5(1930)年8月24日 出身地備後国(広島県) 経歴明治5年広島の遷喬社で英学を修め、桜南社に入って漢学を学ぶ。17年東京に出て吉備商会を興し、のち海事工業所を設立し、築港・架橋や難破船引き上げに当たる。日本海事工業取締役、山科汽船監査役、東京商業会議所議員・副会頭などを歴任。また日本実業界特使として世界各国を歴訪した。35年衆院議員(憲政本党)に当選1回。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山科礼蔵」の解説 山科礼蔵 やましな-れいぞう 1864-1930 明治-大正時代の実業家。文久4年1月生まれ。東京で吉備(きび)商会をおこす。のち海事工業所を設立し,築港や難破船引き上げにあたる。日本海事工業取締役,山科汽船監査役などを歴任。明治35年衆議院議員(憲政本党)。昭和5年8月24日死去。67歳。備後(びんご)(広島県)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by