山科郷(読み)やましなごう

日本歴史地名大系 「山科郷」の解説

山科郷
やましなごう

和名抄刊本は「也末之奈」と訓ず。「日本書紀」天智天皇八年(六六九)五月壬午条に「天皇縦猟於山科野、大皇弟・藤原内大臣及群臣、皆悉従焉」とあるのが山科の地名の初見。「万葉集」にも散見する。また聖武天皇の行幸地ともなっている(「続日本紀」天平一三年九月三〇日条)。「三代実録」には日本海を経て北陸沿岸・近江経由で平安京に至る渤海使節を「宇治郡山科村」(貞観一四年五月一五日条)、あるいは「宇治郡山階野辺」(元慶七年四月二八日条)で迎えたとあり、古くから交通の要地であったと思われる。

康保元年(九六四)一二月一三日付醍醐寺牒案(三宝院文書)には、

<資料は省略されています>

とあって、大藪里・下小野里・咋田里・大槐里・山科里・玉井下里・宮浦東里・玉井上里・椿市里の里名が知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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