日本歴史地名大系 「山科里」の解説
山科里
やましなのさと
歌枕。「後拾遺集」巻一九に、石山寺(現大津市)詣の途次の和泉式部の歌がある。
歌学書「五代集歌枕」「八雲御抄」は、いずれも右の歌を証歌としてあげ、「和歌初学抄」は「コヽロヤマシキニ」と注する。
山科の名は早く「日本書紀」天智天皇八年五月五日条に出る。しかし「山科」のさす範囲はさまざまで、「万葉集」にみても、天智天皇山科陵を詠んだ「山科の鏡の山」(巻二、額田王)は現山科区御陵、「山科の木幡の山」(巻一一、寄物陳思歌)は現宇治市、「山科の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報