山越郡(読み)やまこしぐん

日本歴史地名大系 「山越郡」の解説

山越郡
やまこしぐん

明治二年(一八六九)八月一五日に設置された胆振国の郡で、ヤムクシの訓が付されている(公文録)近世のヤムクシナイ場所の領域を継承し、郡名も松浦武四郎の提案で同場所の名称を踏襲した(「郡名之儀ニ付奉申上候条」松浦家文書)。胆振国の南西部に位置し、北は後志国寿都すつつ郡・島牧しままき郡、西は同国瀬棚せたな郡・太櫓ふとろ郡、渡島国爾志にし郡、南は同国檜山郡・茅部かやべ郡、東は虻田あぶた郡と接し、内浦湾(噴火湾)に面している。現在の長万部おしやまんべ町・八雲やくも町の全域にあたる。北部から西部にかけて山地が連なり、長万部岳(九七二・四メートル)・太櫓岳(一〇五三・四メートル)雄鉾おぼこ(九九九・三メートル)などがそびえ、北部寄りを長万部川が、中央部から南側にかけて遊楽部ゆうらつぷ川・野田追のだおい川・落部おとしべ川が東流して内浦湾に注ぐ。明治二年九月兵部省の支配となり、翌三年一月陸奥斗南藩の支配となるが、同四年八月分領支配が解かれ開拓使の直轄となる(「北海道志」巻一)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報