朝日日本歴史人物事典 「山辺皇女」の解説
山辺皇女
生年:生年不詳
7世紀後半の皇女。父は天智天皇,母は蘇我赤兄の娘常陸娘。大津皇子(天武天皇の子)の妃となる。夫大津が謀反の罪により訳語田(奈良県桜井市)の家で刑死したとき,髪を振り乱して素足で走り赴き,これに殉じたのを見て人はみなすすり泣いたと『日本書紀』にある。大津皇子は24歳,山辺皇女も若かったはずである。子については伝わっていない。大津と石川郎女との恋愛はつとに有名で,人々の涙は何に向けられたものだったのか。また皇女はなぜ殉死したのだろうか。
(児島恭子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報