山辺皇女(読み)やまのべのひめみこ

朝日日本歴史人物事典 「山辺皇女」の解説

山辺皇女

没年:朱鳥1.10.3(686.10.25)
生年:生年不詳
7世紀後半の皇女。父は天智天皇,母は蘇我赤兄の娘常陸娘大津皇子(天武天皇の子)の妃となる。夫大津謀反の罪により訳語田(奈良県桜井市)の家で刑死したとき,髪を振り乱して素足で走り赴き,これに殉じたのを見て人はみなすすり泣いたと『日本書紀』にある。大津皇子は24歳,山辺皇女も若かったはずである。子については伝わっていない。大津と石川郎女との恋愛はつとに有名で,人々の涙は何に向けられたものだったのか。また皇女はなぜ殉死したのだろうか。

(児島恭子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山辺皇女」の解説

山辺皇女 やまのべのおうじょ

?-686 飛鳥(あすか)時代,大津皇子の妃。
天智(てんじ)天皇と常陸娘(ひたちのいらつめ)の娘。朱鳥元年10月3日大津皇子が謀反(むほん)の罪により24歳で処刑されたとき,髪をふりみだし裸足ではしっていき,殉死した。

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世界大百科事典(旧版)内の山辺皇女の言及

【大津皇子】より

…686年9月天武の死の直後,謀反の嫌疑がかけられ,10月2日一党30余人の首謀として逮捕され,翌3日大和国訳語田(おさだ)の家で死を賜った。妃の山辺(やまべ)皇女も殉死し,見る人みな嘆いたという。これがいわゆる大津皇子事件である。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」