大津皇子(読み)おおつのみこ

朝日日本歴史人物事典「大津皇子」の解説

大津皇子

年:朱鳥1.10.3(686.10.25)
生年:天智2(663)
謀反の罪で自殺した皇族。天武天皇大田皇女(天智天皇の娘)の子。天武1(672)年6月壬申の乱に際し,近江(滋賀県)を脱出,鈴鹿(鈴鹿市)で父からの使者に会い,続いて伊勢国朝明郡(三重県朝日町付近)において父の一行合流した。8年5月吉野宮における誓盟に参加,天武の前で皇后(のちの持統天皇),天武・天智の6人の皇子が互いに協力し逆らうことのないことを誓った。12年2月21歳になり,初めて国政に参画。朱鳥1(686)年8月封400戸を加えられたが,同年9月天武が亡くなると,10月2日新羅僧行心らにそそのかされて謀反を企て,失敗して翌日訳語田(桜井市戒重)の家でを賜った。時に24歳。即日,山辺皇女は嘆いて殉死した。 大津の風貌はたくましく音声明瞭で,天智の寵愛を受け,長じて才学あり文筆を好み,『懐風藻』によれば度量広大で博識,詩文を得意とし,成長するにおよび腕力強く撃剣に巧みとなった。また高貴の身をおごらず人を厚く礼遇したので人気があった。大津の謀反計画を密告したのは朋友の川島皇子(天智天皇の子)であったという。逮捕された三十余人のうち,行心ほかひとりを除きみな赦免になったことから察すると,計画が事実無根ではなかったとしても,子の草壁皇子を擁立する皇后らが事前に察知し,大津の抹殺のために利用したと考える説が有力である。大津の墓は二上山の雄岳(奈良県当麻町)にある。『万葉集』に4首の短,『懐風藻』に4編の詩を遺す。死に臨んでの「ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」の哀切の一首は有名。同母の大伯(大来)皇女が『万葉集』に遺す歌6首はすべて大津への思いやりとその死の哀惜を表す。1984年度飛鳥京跡調査で,「大津皇」「大来」などの木簡削片が出土した。<参考文献>直木孝次郎『持統天皇』

(岩本次郎)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「大津皇子」の解説

大津皇子
おおつのおうじ

[生]天智2(663)
[没]朱鳥1(686).10.3.
天武朝の皇族政治家,歌人漢詩人。天武天皇の第3皇子で,母は大田皇女 (ひめみこ) 。同母の姉に万葉歌人大伯 (おおくの) 皇女がいる。壬申 (じんしん) の乱のとき,近江を脱出して父の一行に合流,父は大いに喜んだという。天武 12 (683) 年初めて朝政に参与したが,天皇崩御の直後,皇太子草壁皇子に謀反のかどをもって捕えられ処刑された。『日本書紀』『懐風藻』の伝によれば,文武に秀でた大人物で,「詩賦の興れるは大津より始る」とされる。『万葉集』に短歌4首,『懐風藻』に漢詩4編を残しているが,このうち『万葉集』巻三の辞世の歌と『懐風藻』の『五言臨終一絶』は有名で,高く評価されている。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus「大津皇子」の解説

大津皇子 おおつのおうじ

663-686 飛鳥(あすか)時代,天武天皇の第3皇子。
天智(てんじ)天皇2年生まれ。母は大田皇女(おおたのおうじょ)。天武天皇12年朝政に参画するが,皇太子草壁皇子との間に対立が生じた。朱鳥元年父の死後,皇太子にそむいたという罪で逮捕され,10月3日訳語田(おさだ)の家で自殺させられた。24歳。「懐風藻(かいふうそう)」に詩4首,「万葉集」に短歌4首がある。
格言など】ももづたふ磐余(いはれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ(辞世)

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百科事典マイペディア「大津皇子」の解説

大津皇子【おおつのおうじ】

天武・持統朝の歌人,漢詩人。天武天皇の皇子。母は持統天皇の姉大田(おおた)皇女。太政大臣にも任じられたが,天武の死後逆心ありとして死を賜った。《懐風藻》《万葉集》に各4首の漢詩,和歌が収められ,死に臨んでの作品は絶唱として知られる。
→関連項目懐風藻

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旺文社日本史事典 三訂版「大津皇子」の解説

大津皇子
おおつのおうじ

663〜686
天武天皇の皇子
母は天智天皇の皇女大田皇女(持統天皇の姉)。文武道に長じ,太政大臣として国政を執行。有力な天皇候補者であったが,天武天皇没後,謀反の疑いで持統天皇に捕らえられ刑死。『懐風藻』『万葉集』に歌を残す。

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精選版 日本国語大辞典「大津皇子」の解説

おおつ‐の‐みこ おほつ‥【大津皇子】

天武天皇の第三皇子。漢詩人。歌人。皇位継承をめぐる謀反の理由で捕えられて自殺。詩は「懐風藻」に、歌は「万葉集」にみえる。特に辞世の作は有名。天智二~天武一五年(六六三‐六八六

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世界大百科事典 第2版「大津皇子」の解説

おおつのみこ【大津皇子】

663‐686(天智2‐朱鳥1)
天武朝の政治家,漢詩人,万葉歌人。天武天皇の第3皇子,母は天智天皇の皇女大田皇女。万葉歌人大伯皇女(おおくのひめみこ)の同母弟にあたる。名は百済の役にさいし筑紫の娜大津(なのおおつ)で生まれたことにもとづく。686年9月天武の死の直後,謀反の嫌疑がかけられ,10月2日一党30余人の首謀として逮捕され,翌3日大和国訳語田(おさだ)の家で死を賜った。妃の山辺やまべ)皇女も殉死し,見る人みな嘆いたという。

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世界大百科事典内の大津皇子の言及

【大伯皇女】より

…万葉歌人。天武天皇の皇女で大津皇子の同母姉。母は天智天皇の皇女大田皇女だが,大伯が6歳のおりに没した。…

【二上山】より

…二上山の東側に,当麻曼荼羅で有名な当麻寺があり,西側の磯長谷(しながだに)(大阪府南河内郡太子町)に,大王陵や終末期古墳の散在する事実は,二上山を冥界と境する山と見なす観念が存在していたことを示す。《万葉集》によれば,悲劇的な死をとげた大津皇子の屍を二上山に移葬し,大伯皇女(おおくのひめみこ)が〈うつそみの人にある我や明日よりは二上山を弟(いろせ)と我が見む〉と歌ったとするのも,そうした観念と無関係ではあるまい。なお現在,二上山の雄岳の頂上に,大津皇子の墓があるとしているが,その決定は1876年(明治9)に行われたにすぎず,根拠も明確でない。…

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